幸せに生きよう

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聖書の言葉

いかに幸いなことでしょう

あなたによって勇気を出し

心に広い道を見ている人は。

嘆きの谷を通るときも、

そこを泉とするでしょう。

雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。

彼らはいよいよ力を増して進み

ついに、シオンで神にまみえるでしょう。

旧約聖書 詩編 84編6~8節

藤井真によるメッセージ

新しい年を迎え、既に一週間。お正月気分も抜けて、いつもどおりの生活に戻られているという方もおられることでしょう。新しい年になったからと言って、何かが大きく変わったというわけではないかもしれませんが、それでも、気持ちを新たにして、前を向いて歩んでいこうと願うものです。「願い」と言えば、新しい年、私たちは多くのことを願い、そして、祈りをささげたのではないでしょうか。「健康が支えられますように」「仕事や商売が順調にいきますように」「受験に合格することができますように」「家庭が円満でありますように」「この世界に平和が訪れますように」。

他にも色んな願い、祈りがあったことでしょう。でも、それらを一言でまとめますと、それは結局、「幸せになりたい」ということではないでしょうか。何をもって幸せと言うのか、その幸せの判断基準というのは、人によってそれぞれ違う部分もありますけれども、「ああ、自分は幸せだなあ」「生きていてよかったな」。そのように思える一年を、いや一年どころか、一生を歩んでいくことができたら、どれだけ嬉しいことでしょうか。

ただ一方で、私たちが今幸せを願っているということは、今の状態がまだ幸せではないことのしるしであり、今はまだ満ち足りていないということのしるしではないかと思うのです。そのような中で、幸せそうな人を見ると、僻んでしまうということもあるでしょう。なぜ自分だけ満たされないのかという思いが強くなる時、幸せを感じることはできなくなります。また、「一寸先は闇」という言葉がありますけれども、この1年どうなるかなどということは誰にも分かりません。1年どころか、明日どうなるのか、今日どうなるのかさえ分からないのが私たちです。だから、不安になるのです。

そのような不安な人生を支える確かな土台というものを誰もが必要としています。何があってもなくなることのない幸せこそが、私たちを支えるのです。お話の最初に聖書の言葉をお読みしました。この歌をうたった人は「いかに幸いなことでしょう!」と私たちに呼びかけています。神様は私たちに幸いを与えてくださるお方です。それも、何があっても崩れることのない本当の幸いと呼べるものを与えてくださるのです。

では、キリスト教の神様を信じたら、イエス・キリストという方を信じたら、何の不安もなくなるのかと言うと、決してそんなことはありません。神様を信じたら病気をしなくなるとか、受験が上手くいくとか、人間関係も上手くいくとか、長生きできるということではないのです。信じていても、思いどおりいかないことはたくさんあります。病気になります。人間関係でも悩まされます。愛する人を失います。そして、やがて自分も死ぬ日が来るのです。

詩編を歌った人は「いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は」と言いました。ということは、心に広い道を見ることができなくなることもあるということでしょう。私の人生、狭くて、曲がりくねった道ばかり、いったいどこに向かっているのかさえも分からない。そういう不安が神様を信じていてもあるのだということです。あるいは、「嘆きの谷を通る時も」という言葉もありました。他の詩編ですけれども、「死の陰の谷を行く時も」(詩編23:4)と歌っているうたもあります。幸せを求めると言いながらも、自分を見失いそうになり、嘆かざる得ない現実と向き合わないといけないことがたくさんあるということです。それだったら、神様を信じても、信じなくても同じではないか。私の人生に嘆きを与える神様なんて、本当の神様なのかと疑ってしまう方もおられることでしょう。

でもそうではないのです。神様を信じて生きていても、私たちが生きているこの世界はまるで荒れ野のようであり、曲りくねった道のように感じることもあるでありましょう。深い谷底に落とされたような思いに捕らわれることもあるでありましょう。けれども、神様を信じる者はそのような現実の中に、神様が見せてくださるもう一つの情景を心に思い浮かべることができます。実際歩んでいる道は細いのですが、広い道を歩いている自分を見させていただくことができるのです。嘆きの谷を通り過ぎたらいいことが待っているというのではなく、どん底を歩んでいるまさにその只中にあって、いのちの泉が涌き出で、祝福の雨で覆われるという経験をするのです。だから、死の陰の谷を行く時も、災いを恐れなくてもいいのです。色んなものを失い、色んなことができなくなる中で、なお残り続ける確かなものが私を支えていると言うことができるのです。

クリスチャンはこの神様の豊かな恵みを礼拝の中で、聖書の言葉を聞く中で味わっています。どうかこの番組をとおして、神様の祝福が皆様に届きますように。この1年様々なことが起こるかもしれませんし、すべてを見通すことはできません。だからこそ、神様に私たちの歩みをお委ねし、信頼していただいたいと心から願います。何があっても、神様はあなたの歩みを祝福してくださいます。

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