“アレ”の話

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聖書の言葉

わたしはいにしえの日々を思い起こし、あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し、御手の業を思いめぐらします。

旧約聖書 詩編 143編5節

吉田隆によるメッセージ

その年に流行した言葉を発表する流行語大賞なるものが、話題となるようになりました。今年もまもなく発表されることでしょう。私は、ひそかに「アレ」ではないかと思っているのですが、どうでしょう?プロ野球に関心のない方にとっては、何のことやらさっぱりわからないかもしれませんが、やっぱり今年は何と言っても18年ぶりの「アレ」なのではないかと、甲子園球場の近くに住んでいる私としては思うわけです。ちなみにこの場合の「アレ」は、平仮名ではなくてカタカナです。

もう一つ、ずっと前からの流行語で、今でも特に若い人たちが使う表現に「それな」というのがあります。例えば、こんなふうに使います。「吉田先生の話、全然わかんないよねー」「それなー」という具合です。そんなふうに言われていないことを願いますが。

まあ「あれ」だとか「それ」だとか、巷では流行っているようなのですが、私のように60を超えた方々になってきますと、「流行語」ではなくて「日常語」が「あれ」と「それ」になってまいります。「あれ、どこに置いたかなあ」「あれって、何?」「ほら、あれだよ、あれ」「あれ?ああ、これのこと」「おお、それそれ」。まったく、嫌になってしまいますね。

「人間は忘れる生き物である」とドイツの心理学者が言ったらしいのですが、彼はそう言っただけでなく、実際にどれくらいの時間でどれくらい忘れるかを実験したのです。その実験結果によりますと、人間は20 分後には学んだことの4割を忘れ、1日経つとおよそ7割を忘れてしまうのだそうです。これがお勉強であれば、「ですから皆さん、学んだ後に何度も復習しましょう」ということになります。けれども、私たちが直面するいろいろな経験の場合はどうでしょうか?何かのミスや失敗をしたりする。ところが、それをすぐに忘れてしまうので、何度でも同じことを繰り返すということもあるでしょう。しかし、他方で、そうした失敗という嫌な経験を忘れてしまうので、またチャレンジできるということもあるかもしれませんね。

やがていろいろな記憶が薄れていって認知症になって行く時、自分にはどんな記憶が残っているのだろうかと、時々、思うことがあります。私の義理の母は、結構早くから認知症になって、私たちとのいろいろな思い出がどんどん失われていきました。それは家族にとっては悲しいことでしたが、母自身は若い頃の楽しい思い出の中で生きていたようで、お見舞いに行くといつもニコニコしながら母の記憶の世界のことを話してくれました。あんなふうな楽しい記憶の中で最後を過ごせたらいいなあと思ったものです。

聖書では、忘れない、思い出す、思い起こすということが、とても大切なこととして教えられています。今日の聖書の言葉もそうです。「わたしはいにしえの日々を思い起こし/あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し/御手の業を思いめぐらします」。これは、ダビデという有名な信仰者が書いた詩ですが、ダビデは自分を苦しめようとする精神的な危機の中で、心を神に向けて奮い起こしながら言うのです。「わたしはいにしえの日々を思い起こし/あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し/御手の業を思いめぐらします」と。神が自分の人生に与えてくださった、たくさんの嬉しかったこと、感謝だったこと、それらを一つ一つ思い起こしますと。

もちろん、ダビデの人生の中にも、いえ、彼の人生の中にこそ、人とは比べられないほどたくさんの苦しみや悲しみ、また自分の失敗・過ちからくる辛い思い出がありました。けれども、そのような時に彼が思い起こそうとしたのは、自分の過ちや苦い経験ではなく、そんな自分をそれでも赦してくださった神の愛、支えてくださり助けてくださった神のあふれるばかりの恵みの数々だったのです。

私たちの人生の中にも、思い起こせば、あの時不思議に助けられた、守られた。思いもよらない喜びが与えられた。そんな出来事の数々があるのではないでしょうか?それにもかかわらず、悲しいかな、私たち人間はあまりにも早く、あまりにも簡単に神がしてくださったことを忘れてしまうのです。でも、安心してください。たとい私たちが忘れても、神は私たちを忘れはしないからです。

まもなくこの一年も終わります。この時に、私たちの記憶の底に眠っている、そんな嬉しかったこと、感謝だったことを思い起こしましょう。この一年だけでなく、皆さんの人生の中にあったはずのたくさんの不思議に心を向けましょう。不思議な出会い、不思議な助け、不思議な導きを。「ほら、あれ、あれ」でも「それ、それ」でもいいですから、心の中を探って見ましょう。きっと、皆さんの心はひと時、温かい思いに満たされることでしょう。私たちの人生は、決して偶然の産物ではないからです。そして、そのような神が、これからもずっと、あれやこれやを導いてくださることを信じてまいりましょう。

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