恐れから信頼へ

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聖書の言葉

わたしの魂をお守りください わたしはあなたの慈しみに生きる者。あなたの僕をお救いください あなたはわたしの神 わたしはあなたに依り頼む者。

旧約聖書 詩編 86編2節

宮武輝彦によるメッセージ

聖書は、神様の約束の言葉をもとに成り立っています。その中心は、イエス・キリストが来られるとの約束と、一度、来られた、という恵みの事実の証しです。

イエス・キリストは、あるとき、ぶどう園で働く労働者のたとえ話で、このようなお話をされました。

「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。

五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。

夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。

しかし、彼らも一デナリオンずつであった。 それで、受け取ると、主人に不平を言った。 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』

主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」(マタイによる福音書20章1~16節)

このたとえ話で、イエス・キリストは、ぶどう園で働く労働者たちが、夜明けから夕方まで働いた者にも、九時から、十二時から、三時から、五時から、それぞれ、夕方まで働いた者にも、同じ、一デナリオン、一万円相当の賃金を払った主人のことを教えています。最初に雇われた人たちの不満は、よく理解できるところです。

しかし、この主人は、「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか」と、最初の約束をたしかめるのです。

それは、どの時刻から働き始めた労働者にとっても同じ約束でした。「もっとも多くもらえると思っていた」人たちの言い分は、主人との約束からすれば、約束を忘れた言い分でした。

しかし、この主人は、夜明けから夕方まで働いた労働者を「友よ」と呼んでいます。それは、主人にとって、どんな時にも、労働者一人一人の味方であり、良き相談相手であることを物語っています。

それでは、この主人とはだれのことでしょうか。それは、愛する独り子の命まで惜しまずに与えてくださった、神様です。始めの人間アダムにおいて、神様の命令に背き、神様の目を避けて歩むようになった人間一人一人に寄り添い、先週学んだように、エデンの園で、最初の救いの約束、原福音を与えてくださって以来、ご自身の思いの内に、ある者たちを選び、絶えず、救いの約束を更新してくださり、遂に、救い主イエス・キリストの到来の日を迎えたことを、このたとえ話は物語っています。このぶどう園で働く労働者たちは、神様の支配している歴史の中で、神様の祝福にあずかり、救われる人々のことを指しています。

じっさいに、神様の支配している歴史の中で、神様の救いの約束を与えられたイスラエルの人々は、神様にいつも目を向けて歩んでいたというよりも、試練や、苦しみや、不安の中で、むなしいものにより頼み、それがために、自ら、神様の裁きを身に招くことがありました。四百年にわたるエジプトでの奴隷の生活から救い出された時には、神様に信頼せず、四十年の間、荒野をさまようことになりました。また、サウル、ダビデ王に続き、ソロモン王の栄華を見ながら、罪を重ねて、王国は二つに分裂し、アッシリア、バビロンの支配の中で、異国への捕囚とともに、国を追われ、都の滅亡も経験しました。

しかし、憐れみ深い神様は、イスラエルの人々を選び、エルサレムに帰る道を示され、時至って、イエス・キリストをお遣わしになりました。そして、ご自身の救いの約束を、イスラエルの人々のみならず、全世界の人々の内に実現する道を開いてくださいました。

神様の救いの約束は、人生の何時でありましても、神様の独り子イエス・キリストのもとに来て、かつて神様の目を避けて、ほかのものを怖れて歩んでいた、「罪」を認め、救いを求める人を、神様は救ってくださいます。そこには、どのような身分、経歴、境遇も関係はありません。まったく、公平に、どのような人も、公平に、同じ救いの恵みにあずかるのです。「わたしの友よ」と呼ばれる神様は、「あなたはわたしの神わたしはあなたに依り頼む者」との信頼の道を、「今日、あなたに約束する」と言われます。

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