天の国は、からし種のようなものである

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聖書の言葉

イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」

新約聖書 マタイによる福音書 13章31~32節

金昭貞によるメッセージ

私は幼い頃から人が死んだ後はどうなるのか気になっていました。そして、その頃、初めて教会に行く機会があり、教会学校の先生はイエス様を信じれば天国に行けると教えてくれました。当時は、イエス様を信じると天国へ行けるという意味がはっきり理解できませんでしたが、解けなかった謎が解けたような気がしました。しかし、大人になってから新たな疑問が湧きました。もし死んで天国に行けるのなら、この世での営みは何の意味があるのか、という疑問です。死後、天国へ行けるならば、この世でさらに多くの罪を犯すより、また、さまざまな苦しみを経験することよりも、早く天国に行った方がよいのではないかと思いました。

しかし、聖書の御言葉を通して、天国、すなわち、天の国は既にこの世に実現されていることに気づきました。もちろん、この世では完全な天の国を体験することはできません。しかし、2000年前にこの世に来られた主イエスが、人間の罪を背負い十字架で死んでくださったことによって、神様はこの世における天の国を既にもたらしてくださいました。そのため、主イエスを信じる者は、この世でも天の国を味わうことができるのです。

それでは、この世における天の国は、実際にどのようなものでしょうか。主イエスは天の国をからし種にたとえられました。このからし種のたとえは、天の国の始まりと終わりの特徴をよく表しています。

まず、天の国の始まりに関してです。天の国の始まりは、からし種のように小さいのです。聖書には「からし種ほどの信仰があれば、山をも動かすことができる」という御言葉があり、からし種は小ささを象徴する言葉として使われています。実際、この世においてすでに実現されている天の国の始まりは、非常に小さく些細なものでした。主イエスが天の国をもたらすために2000年前にこの地に来られたときの姿はとても小さかったです。神様の独り子である主イエスは派手なエルサレムの宮殿ではなく、馬小屋で生まれました。主イエスはユダヤの王子として生まれたのではなく、大工の息子として生まれました。また、主イエスの12人の弟子たちも、尊敬される職業を持っているのではなく、普通の人々でした。人々から非難される職業を持っていた弟子もいました。この世における天の国の始まりは、からし種のように小さくて弱々しかったのです。

一方、天の国の終わりは、その始まりとは異なり、非常に大きいのです。からしはハーブの一種であり、パレスチナ地域では一般的に畑で栽培されるため、野菜として分類されます。しかし、この小さなからし種は成長すると大きくなり、時には3メートルにも達する木のように成長することがあります。小さなからし種が、最終的には木のような役割を果たすことができるほど大きくなるのです。主イエスによってこの世にもたらされた天の国の始まりは、からし種のように小さいですが、その終わりは大きいのです。実際に、今、全世界には主イエスを信じる人々が約20億人にも達していて、私はその中の一人です。

私は、まさに小さなからし種のような存在です。私はさまざまな面で弱く、たくさんのコンプレックスを抱えていました。そして、いつも多くの間違いを犯してしまいます。しかし、神様は小さなからし種のような私をこの世に植え付け、成長させ続けてくださっています。もし世の基準で考えるなら、私は既に抜かれてしまったかもしれません。しかし、神様は小さくて弱い私を通して、この世における天の国をもたらしてくださっています。神様は、私が早く天の国に行くことを望んでおられるのではなく、この世における天の国が、私を通してもたらされることをより喜んでおられるのです。ですから、私は死んだ後、天国に行って、天国がどれほど広大なのか直接確かめる日を待ち望みながら、私を通してもたらされるこの世における天の国を今日も期待しています。どうでしょうか。あなたも神様が支配なさる天の国に一緒に参加しませんか。

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