ただ、イエスのもとへ

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聖書の言葉

四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。

新約聖書 マルコによる福音書 2章3~4節

宮﨑契一によるメッセージ

これは、聖書の中で主イエスが奇跡をなさった物語です。それを見た誰もが驚いたり、神を賛美するような奇跡をイエス様がなさった、という奇跡の物語が聖書の福音書の中にはよく出てきます。ただ、このイエス様のなさった奇跡の物語を見ますと、それは何か奇跡という、私たちにはいかにも信じられないような出来事が、非常に劇的にドラマチックに書かれている、という書かれ方がされているのではありません。

むしろ、その物語の中に登場する人物の、イエス様への信仰やイエス様への思いといったことが生き生きと描かれているように思うのです。今お読みした聖書の物語も、まさにイエス様への信仰について、私たちに教えてくれる物語の1つです。

この物語は、イエス様が中風の人の病気を治す、という奇跡の物語です。ですから、この中風の人は、例えば、脳出血などによって半身不随になったのかもしれませんし、手足がまひしていた、ということであったのかもしれません。そこで、4人の人がこの中風の人を運んで、イエス様のところに連れて来た、というのです。

しかし、イエス様というお方は、いつも大勢の群衆に囲まれているようなお方でした。ですから、この4人の人は、なかなかイエス様に近づくことができなかった。さあ、そこで、この4人の人は、中風の人をイエス様のところにお連れすることを諦めたのでしょうか。それとも、今は大勢の人が周りにいるから、その人たちがいなくなってから中風の人をイエス様のところへ連れて行こう、と考え直したのでしょうか。

そのどちらでもありませんでした。彼らはその家の屋根を壊して、そこから中風の人をイエス様のところへと降ろしたのです。私たちは、少しこの人たちは強引なことをするなあ、乱暴なことをするなあ、と思うかもしれません。何も、ここまでやらなくてもいいのではないか。そう思われるかもしれません。

しかし、ここで聖書が言いたいのは、この4人の人たちが、たとえどんな状況の中でも、そして、どんな時であっても、手段を選ばず、ただイエス様のところに行こうとした、ということです。それは、ただこのお方にのみ、希望があるからです。救いがあるからなのです。だからこそ、この中風の人にとっての救いは主イエスしかない。その確信が、この4人をひたすら主イエスの下へと駆り立てているのです。屋根という障害、または周りには大勢の群衆という障害がありました。そういったものを全て突破するようにして、この4人は、ただイエス様目指して突き進んで行きます。もう望みは主イエスしかない。

イエス様はその人たちの信仰を見た、と聖書に書かれています。ただ、イエス様に望みをおいて、ひたすらこのお方に向かって生きていく、そこに信仰があるということなのです。

私たちは毎日、いろいろなものに希望をおきながら、生きているはずです。それは例えば、毎日やっている仕事を上手くやっていくことかもしれないし、周りの人たちとの関係をうまく保っていくことかもしれません。あるいは、学校で良い成績を取り続けて上位に立ち続けることであるのかもしれません。そのように、私たちの中にはそれぞれ、何かそこに希望をおいているものとか、それに依り頼んで生きているものがあるはずです。

しかし、それらのものの中に、私たちが本当に自分たちの人生をすべて依り頼んで生きていけるようなものはあるでしょうか。それらは、一時的には支えとなり助けとなるかもしれません。あるいは、慰めを受けたり、励まされたりするでしょう。けれども、生涯にわたって、私たちがどのような時でも、どのような場所でも、本当にそれに依り頼んで生きていけるもの。私たちが、どのような時でも助けを求めて、そのお方のところに向かって突き進んでいけるもの。そういったものは、ないはずです。

しかし、私たちが主イエスに助けを求めればどうでしょうか。ここでの4人の人たちのように、ただ主イエスに救いを求めて、そこに向かって突き進んでいくならどうでしょうか。イエス様は、必ず救いの御手を差し伸べてくださいます。必ず救いの御手を差し伸べてくださるのです。

この中風の人は、この後イエス様のもとに連れて行かれて病気が癒された、と聖書には書かれています。このように病気が癒されたことが、奇跡であるのですけれども、しかしやはり、私たちにとっては信じがたいような物語であるのかもしれません。

ただ、この物語が指し示していることは、ただ主イエスのみに救いを求めるのであれば、このお方は必ずそれに答えてくださるということです。この病気が癒された中風の人は、この先どのように生きたのでしょうか。聖書には書かれていませんが、やはりこの中風の人も4人の人たちと同じように、ただ主イエスに向かってひたすら助けを求め、このお方に支えられながら生きたと思うのです。

あなたの人生を是非、主イエスに委ねていただきたいと願います。

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