決して沈黙してはならない

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聖書の言葉

エルサレムよ、あなたの城壁の上に わたしは見張りを置く。 

昼も夜も決して黙してはならない。

旧約聖書 イザヤ書 62章6節

大西良嗣によるメッセージ

私は、香港をおぼえて祈る会を、いろいろなキリスト教会の人たちと一緒に続けています。最近は、香港についての報道が、ずいぶん少なくなりました。けれども、依然として、香港の方々が置かれた状況は、良くなっていません。むしろ、ますます厳しくなっていると言った方が良いでしょう。

かつてデモ行進などの民主化運動にかかわった方たちが、ずいぶん後になって、新たに逮捕されるということも起こっています。デモの際には、かなり暴力的な取り締まりが行われましたので、若者たちの中にPTSDをわずらい、眠れなかったり、突然その時のことを思い出したりして苦しんでいる人たちがいるそうです。香港から海外へと逃れた人たちも、苦しみが消えるわけではありません。台湾に逃れたある方は、「香港に残っている家族が病気になって心配だけれど、会いに帰ることができない」と言っていました。

香港にいる牧師や、香港から逃れた牧師たちが、心の傷を負った若者たちをケアする働きをしています。私は、同じ牧師として、彼らのために祈るのですが、状況が良くなっているとは言えません。祈っているのに、事態が好転しているという実感はありません。

聖書が教える神様は、全能の神です。できないことは何もありません。それなのに、祈りの効果がないのだとしたら、キリスト教を信じる意味があるのでしょうか?信じて祈る意味があるのでしょうか?

聖書は、それでも「祈れ」と言います。祈りの効果が感じられなくても、「祈れ」と言います。最初に読んだ聖書の言葉には、「昼も夜も決して黙してはならない」とありました。何の反応も感じられなかったとしても、黙ることなく、昼も夜も祈るように言われています。

実は、この聖書の言葉は、破壊されたエルサレムの町を目の前にしている人たちに向けられて語られています。破壊された町を前にして、祈るように言われているのです。

では、いつまで、祈ったら良いのでしょうか?その続きに、このようにあります。

「主が再建に取りかかりエルサレムを全世界の栄誉としてくださるまでは。」

いつまで祈るべきかと言えば、「神である主が、町を再建してくださるまでだ」というのです。ただ再建するだけでなく、「町が『全世界の栄誉』となるまでだ」というのです。

目の前にある町は、まだ瓦礫の山です。町が再建されて、「全世界の栄誉」となる日など、本当に来るのでしょうか?

目の前の状況を見ますと、町は再建されそうにありません。周りの状況を見たら、実現しそうにない、それでも、「決して沈黙してはならない」というのが、キリスト教の祈りです。

何となく、無病息災を祈るということとは違います。あるいは、自分で頑張って勉強してきて、あと一押し、神頼みをする祈りとは違います。

全世界を支配し、すべてを最善に計画しておられるお方が、聖書の教える神です。このお方への信頼があるので、目の前の状況を見たら、とうてい希望を持つことができなくても、祈り続けることができるのです。このお方が、最後には、すべてを最善におさめてくださることを知っているので、祈り続けることができるのです。そこにたどり着くまでの道のりが、どれだけ長いとしても、このお方が最高の結末にしてくださることを知っているからです。

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