何を求めるか

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聖書の言葉

「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」

新約聖書 ルカによる福音書 11章9節

宮﨑契一によるメッセージ

今年最初の「キリストへの時間」の放送となりました。新しい年を迎えますと、多くの人たちは初日の出や初詣に出かけることがあると思います。インターネットのホームページを見ていると、おすすめ初詣スポット・ランキング・ベスト10、というコーナーがありました。

そこには、それぞれ参拝者数の多い神社や寺の名前が上がっています。家内安全、縁結び、厄除け、交通安全、合格成就、などそれぞれの神社や寺の御利益が書いてありました。有名な神社では、毎年何百万人もの人たちが参拝をしているそうです。

私自身は、生まれて一度も初詣には行ったことがありません。ですから、どういう思いをもって、参拝をしようとするのかはあまりよく分からないのですけれども、しかし、やっぱり何かを求めてわざわざそこに行くということがあると思います。

私たちは生きていると、いろいろと欲しいものが止めどなく出てきます。そのような私たちの思いは、止まることのないものです。いつも何か、これが欲しいという欲望や欲求があると思います。これは、誰にでもある思いです。

先ほどお読みしました聖書の言葉に、「求めなさい、そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」とあります。この聖書の言葉も、これだけを見ると、自分の欲しいものを求めれば、何でも与えられるのだ、というふうにも見えるかもしれません。

ただ、聖書で求めなさいと言われていることは、いわゆる、家内安全、縁結び、厄除け、こういったものを求めなさい、そうすれば与えられる、と言っているのでしょうか。そうではありません。イエス・キリストがここで、求めなさい、そうすれば与えられる、と言っておられることは、そういう私たちの思いを超えたものです。そして、私たち全ての人間にとって一番必要なもの、それをまず求めなさいと言っておられるのです。

聖書の中で、神が私たちに与えてくださったもの、私たちが求めるべきもの、それは神の御子であるイエス・キリストです。聖書を通して、このキリストを知り続けること、ここに私たちが聖書を読むことの大きな意味があります。

聖書の神というお方は、私たちのために全てのものを惜しまずに、与えてしまわれたお方です。御自分の愛する独り子でさえも、私たちにお与えくださいました。キリストをお与えくださったのです。神は、まずは御自分が、私たちに全てを与え尽くそうとされるお方です。神は私たちに一番必要なものを与えてくださる、その上での、「求めなさい。探しなさい。門を叩きなさい。」という聖書の言葉です。

今日のイエス・キリストの言葉は、本当に、心から神の救いを求める一人一人を裏切ることのない言葉です。求めなさい、そうすれば与えられるのだ。こう断言されています。求めてみれば、ひょっとしたら与えられるかもしれない。もしかしたら、そうなるかもしれない、と恐る恐る言われているのではありません。私たちが、自分自身の弱さや愚かさ、自分の罪ということを知らされる中で、心からキリストを求めれば、この方は必ずあなたにも与えられるのです。

神は、全くの無償で、イエス・キリストを通して私たちに救いを与えてくださいます。私たちはただ、この手で、与えられているキリストを信じ受けるのです。キリストは、私たちの罪や汚れの一切をその身に負って、十字架上で死んでくださいました。そしてこの方は、その全ての罪と十字架の死に打ち勝たれて、三日目に甦ってくださいました。

この甦られた命そのものであるお方、信じるべきお方が、あなたに差し出されている、というのが聖書のメッセージです。この方を心から私たちが求めるなら、それは与えられます。探すのであれば、それは見つかります。この方を求めて門を叩けば、それは開かれるのです。

教会というところは、皆さんにただ、イエス・キリストを差し出す場所です。共に、キリストの福音を覚え、イエスが甦られたこの日に神を礼拝しています。あなたの痛みや問題の全てを神に委ねて、教会に行かれてみてはと思います。教会は、聖書の言葉を通して、キリストとの出会いが与えられる場所です。

私たちはどうしても自分たちがいろいろなことをして、賽銭を投げたり、初詣をしたりして、必死になって自分の願いをかなえようとすると思います。ただ、聖書が示すのは、私たち人間の求めているものを超えたイエス・キリストの救いです。

キリストは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と言われました。このキリストを求めて、この方のもとに来る者は、だれでも休ませてあげよう。自分自身の欲望や欲求を、その全てをキリストに明け渡して、この方のもとに来る一人一人に本当の安らぎがある、ということを聖書は語っています。

どうぞ、このキリストを求めて、教会の礼拝へとご出席ください。教会というところは、ただイエス・キリストをあなたに差し出す場所です。

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