救い主と出会う喜び

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聖書の言葉

彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。

新約聖書 マタイによる福音書 2章9~11節

国方敏治によるメッセージ

今年も12月に入り、私たちの救い主イエス・キリストの降誕を記念するクリスマスの季節がやって参りました。今年は金融不安に端を発した世界的な不況が拡がり、明日はどうなるかと将来の希望が持てない不安定な時代となっております。東京秋葉原で起こった連続殺傷事件の犯人がこう言いました。「希望がある奴には希望のない者の気持ちなどわかるまい」と。周りの人から無視され、存在を否定されたように感じた彼の屈折した心の叫びであったのかもしれません。何の関わりもない人をいきなり殺傷するという残忍な犯罪を許すことはできません。が、彼の絶望の叫びは私たちにも幾分かは理解できるように思うのです。確かに、人は希望がなければ生きていく事ができません。でも覚えていてほしいことは、私たちは世のさまざまの試練や悲しみの中で自分の弱さや無力感を覚え、望みを失ってしまうけれども、恵みの神さまは決して私たちに絶望しておられないという事です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。恵みの神さまが私たちを愛して、その救いのためにご自分の独り子イエス・キリストを送って下さったのです。クリスマスの出来事です。それこそが、最も確かな神さまの愛の証しなのです。

救い主イエス・キリストの誕生は、おおよそ神さまとは縁のない人々に知らされました。

東の国で不思議な星を見た、星占いの学者たちが「ユダヤ人の王」を探ねて都エルサレムにやって来たのです。彼らは星占いを職業とする人々です。当時としては学識もあり、社会的にも高い地位にあった人々でありましたが、彼らはまだまことの神さまを知りませんでした。その彼らが今日のイラン、イラク地方から長旅をしてユダヤの都までやって来たのです。ユダヤ人でもない、しかもまことの神さまをまだ知らない人がどうしてはるばるユダヤまでやってきたのでしょう。彼らは来て言いました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」。彼らはユダヤ人の王、まことの救い主を探ねてやって来たのです。そこにはまことの王、救い主に対する彼らの深い「憧れ」が感じられます。自分はユダヤ人ではない、ユダヤ人の神を信じているわけでもない。でも彼らは不思議にもユダヤ人の新しい王、救い主への憧れを持ち続けています。彼らは「東方でその方の星を見た」と語りました。この東方の地は昔バビロンという大国が栄えた土地です。そこはユダヤの国がこの大国バビロンに滅ぼされ、民が奴隷として移住させられた土地です。彼らが見た星は夜空に大きく輝く星であったのでしょう。けれども同時に、彼らは奴隷として連れられてきたユダヤ人たちが待ち望んでいた救い主の星の出現の御言葉を聞いていたのかもしれません。それで自分も救い主にお会いしたい。この御方はユダヤ人だけではない、自分のような神を知らない者をも救って下さるに違いないと信じて長旅をいとわずやって来たに違いないと思うのです。

他方、救い主がユダヤのベツレヘムで生まれることを突き止めたヘロデ王は、学者たちをそこに遣わして調べさせようとしました。そして、彼らが王の言葉を聞いて出かけると東方で見た星が先立って進み、ついに幼子イエスのいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て「喜び」にあふれたと言われています。学者たちが味わった喜びとはどれほど大きなものであったことでしょう。「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた」とあるように、学者たちがそこで見たのは、おむつにくるまれて寝かされている生まれたばかりの赤子でした。でも、学者たちは東方で見た不思議な星がここでも彼らに先立って導いて下さった。そして、幼子イエス、まことの新しい王、救い主と出会わせて下さったと信じたのです。それは間違いではありませんでした。そこに寝かされていたのは貧しく低き幼子イエスでした。しかもその幼子イエスは圧倒的な権力・力を持つヘロデ王の敵意、殺意にさらされています。

そこにイエス・キリストの十字架の影があります。この御方は私たちを圧倒的な力で押しつぶしてしまう王、救い主ではありません。そうではなく、私たちの背きの罪を十字架に身代わりに負うて下さった憐れみ深い、柔和な救い主なのです。だからこそ私たちはこの御方によって罪を赦されて、恐れることなく、安心してこの御方に依り頼み、私たちの人生を預けることができるのです。安心して長い船旅の人生の錨を降ろす事ができるのです。学者たちはこうして幼子イエスに出会い、ひれ伏して礼拝し、宝の箱を開けて黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。それは彼らの宝物であったと同時に、星占いの働きになくてならない商売道具であったと考えることができるかもしれない。それを惜しげもなく、幼子に贈り物として献げたのです。それほどの喜びが星占いの学者たちを包んでいたのです。もうそんなものは必要なくなったのです。この幼子イエスを私のまことの王、救い主と信じて生きる幸い、祝福を得たのです。もう誰も、どんな試練も悩みも、死も私たちを私たちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、引き離すことはできないのです。どうぞ、続けてクリスマスの救いの御言葉に心を傾けて頂きたいと思います。

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