“亡霊”ではない!
彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。
新約聖書 ルカによる福音書 24章37節
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。甲子園教会の吉田隆と申します。今日の聖書の言葉をお聞きください。「彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った」。彼らというのは、イエスの弟子たちです。弟子たちが、よみがえられたイエスと初めて出会った時、彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思ったというのです。無理もないですね。死んで墓に葬られたはずの人が、突然目の前に現れたのですから。弟子たちでなくとも、もし今日私たちの目の前で同じことが起こったら、やっぱり私たちも同じように感じるのではないでしょうか。▼さて、亡くなったはずの人たちが、家族だとか恋人の所に現れるという筋書きの小説や舞台、あるいは映画などは、案外多いように思います。私の心に残っているものだけでも、例えば、もうずいぶん古くなりましたが、昔、「フィールド・オブ・ドリームス」というアメリカの映画がありました。アメリカはアイオワ州のトウモロコシ畑を経営していた主人公が、ある時、畑で不思議な声を聞きます。そして、いきなりトウモロコシ畑のど真ん中に野球場を作り始めるのです。すると、そこに亡くなったはずの往年の名選手たち、しかも様々な事情で夢破れて野球ができなくなった人々が、次から次へと現れてはそこで野球を楽しむのです。そうしてやがて、野球をめぐって心の傷を抱えていた主人公にも、その傷を癒すような不思議なことが起こります。これ以上は、ネタバレになりますので、ぜひご自分でご覧ください。▼もう一つだけ、私の好きなものに、井上ひさしという人が作った「父と暮らせば」という作品があります。原爆投下から3年後の広島で、一人暮らしをする若い女性が主人公です。その女性の前に、ある日突然、原子爆弾で死んだ父親が現れます。自分だけが生き残ってしまったという負い目から、女性は自分の幸せを追い求めることができません。その娘を一所懸命、亡霊の父親が説得するのですが・・・。この続きもぜひ、ご自分で確かめてみてください。▼こうした作品の数々に共通しているのは、今はいない、亡くなった方々の無念の思い、あるいは逆に残された人々の無念の思い、それが亡霊との交流を通して癒されて行く、というテーマです。それは、ある意味で、誰しもが心の奥深いところに抱えている傷や後悔ではないかと思います。だからこそ、それをもう一度やり直せるという、現実には起こり得ないチャンスが与えられることで癒されて行くというテーマに、私たちは心が洗われるような感動を覚えるのだと思います。▼さて、イエスを亡霊だと思った弟子たちにも、実は様々な無念の思いがありました。3年間もずっと寝起きを共にして、イエス様に愛され赦されてきたにもかかわらず、弟子たちはイエスが逮捕された夜、クモの子を散らすように逃げてしまったからです。とりわけ、弟子の筆頭のペトロは、他の弟子たちが裏切っても、自分だけは死んでも付いて行きますと大見得を切っていたにもかかわらず、身の危険を感じた時に、イエスという男など知らないと、三度も誓ってしまったのでした。そうして、イエスはただ一人、十字架上で死んでしまいました。▼弟子たちの無念。それは、取り返しのつかないイエスへの裏切り。情けないほど弱く、汚い自分の心です。そんな自分たちがこれからどう生きて行けばよいのか。イエスが現れたのは、そんな時でした。「あなたがたに平和があるように」。イエスはそうおっしゃって弟子たちの前に現れました。それでも恐れおののく弟子たちに、「なぜうろたえているのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ」と言われたのです。決して亡霊などではない。正真正銘のイエスご自身であること。亡霊ではなく、よみがえったのだということを弟子たちに確信させたのでした。▼すると、弟子たちは「喜びのあまり、まだ信じられなかった」と書いてあります。当然のことかもしれませんが、大切なのは、この弟子たちの異常な喜びです。そして、この喜びは、消え去ることのない喜びとして、弟子たちの人生を変えて行く力となるのです。このよみがえられたイエスについての知らせを「福音」すなわち「喜び」と呼ぶのは、そこから来ています。決して消え去らない喜び、私たちが後ろを振り返ることなく、前に向かって生きて行く力となる喜びです。それが弟子たちの人生を復活させ、そして2000年間、このイエスを信じる人々をも生かしてきた力なのです。▼私たちは誰しも、今はもう会うことのできない人々との、いくつもの無念を抱えたまま、この人生を生きているのだと思います。けれども、もし、そのような私たちの深い深い心の傷も、そして亡くなった方々の思いさえも、すべてをご存知の方がおられたならどうでしょう。その上でなお、あなたの人生は大丈夫だよと、「あなたがたに平和があるように」と言ってくださる方がおられたならどうでしょうか。▼このイエス・キリストという方は亡霊ではありません。よみがえって、私たちと共に永遠にいてくださる神です。この私たちを愛してやまないお方にすべてを委ねて生きることが喜びです。そうして、やがて、この方が、私たちの人生の本当の意味を、すべては神のご計画だったのだと、悟らせてくださる時がくるでしょう。その時、私たちの心の傷もまた完全に癒されるに違いないのです。