非戦平和のキリスト者 柏木義円
主は平和を宣言されます。ご自分の民に、主の慈しみに生きる人々に、彼らが愚かなふるまいに戻らないように
旧約聖書 詩編 85編9節
「キリストへの時間」をお聴きの皆さま、おはようございます。今回は非戦平和のキリスト者として長年、群馬県の安中教会の牧師として活動した柏木義円の信仰と生涯について、お話ししたいと思います。
柏木義円は、1860年に越後国与板藩(今の新潟県長岡市の一部)の真宗大谷派西光寺の住職の家に生まれました。しかし父親の徳円は義円の生後まもなく病死したため、柏木の家は窮乏に陥り、寺院として立ち行かなくなりました。義円は勉学の志高く、1878年に東京師範学校を卒業した後、群馬県碓氷郡土塩村(今の安中市)で小学校教員を勤めていました。その頃、同志社の創立者である新島襄の安中伝道に接して、同志社英学校に入学しました。しかし学費が続かず1年で中退しました。そして小学校教員に復帰後、安中教会で牧師をしていた海老名弾正の影響を受けて、海老名から洗礼を受けました。その後、同志社に再入学し、卒業後は同志社予備校や熊本英学校の教職を務めました。(笠原:46)
そして1897年の37歳の時、柏木は日本組合基督教会の安中教会の牧師になりました。そこで『上毛教界月報』を創刊し、459号まで1936年12月までの38年の長きにわたり、発行し続けました。ページ数は当初4頁であったものが、その後12頁、さらには14頁と雑誌の形態をとるようになりました。また発行部数は600から1000部というものであり、群馬県の諸教会のほかに、東京はじめ全国各地に読者がありました。その記事は福音宣教とともに多様な社会問題批判にも及んでいました。たとえば銅山による日本最初の公害事件である足尾鉱毒事件、女性の人権擁護の立場からの公娼制度廃止をめざす廃娼運動、被差別部落の解放に向けての未解放部落問題、関東大震災時の朝鮮人虐殺問題など多岐にわたりました。さらには組合教会の帝国主義に迎合した朝鮮伝道のあり方を批判したり、あるいは当時の内務省による家族国家観にもとづく国民教化を目的としたキリスト教・仏教・神道の三教会同の方針を批判したりしました。(笠原:72)
そして1931年に満州事変が勃発すると、柏木は「満州の駐屯兵を撤兵すべし」と主張しました。他方でキリスト教界がふだんは平和を唱えながら、いったん戦争が始まるとつねに国家の方針に迎合するとして慨嘆しました。この頃から国家権力による圧力は次第に柏木の身辺に及び、1932年4月の月報が発禁処分を受けることになりました。社会の治安に最も有効なのは、貧困と帝国主義戦争を絶滅することだと主張したことが、直接の原因となりました。月報はそれ以来、たびたび発禁処分となりました。(笠原:75‐76)
1935年6月に柏木は安中教会の牧師を退き、1936年12月の459号を最後に『上毛教界月報』は廃刊されました。そしてその1年後の1938年1月の寒い朝に、柏木は心臓麻痺のために倒れそのまま亡くなりました。信仰に生き、平和のために生き抜いた起伏の多い78年の生涯でありました。
今朝、ご紹介しました柏木義円は「非戦」の人であります。ここで「非戦」とは戦争や武力による威嚇、武力の行使を否定し、戦争以外の手段で問題解決と目的達成をめざす考え方や社会運動をさします。「非戦」は単に争いのない状態をさすだけでなく、戦いを無効化し、戦いによる問題解決を放棄することを意味します。これは一時的な平和ではなく、恒久的な平和をめざすものです。ちなみに「反戦」と「非戦」は、どちらも戦争に異議を唱え、否定するという点で共通しますが、「反戦」がその時点での戦争否定という一時的なニュアンスであるのに対して、「非戦」は「あらゆる戦争行為を否定」という意味で使用されることの多い用語です。
さて聖書が示す「平和」(シャローム)とは、戦争や争いのない状態のみならず、何よりも神との霊的な関係における自由と幸福、肉体的健康や物質的充足、人間関係における調和や喜びをも意味します。それは創り主なる神によって与えられた「極めて良い」世界にほかなりません。しかし人間の罪と堕落により、平和は破壊され、暴力と混乱に満ちた世界がもたらされました。それにもかかわらず神は人間を愛し、この世に真の平和をもたらすために御子をお遣わしになりました。御子イエス・キリストは弱さの中にいる人々の病をいやし、空腹を満たし、その心に喜びを与えられただけでなく、十字架の苦しみと死によって、敵意という隔ての壁を打ち破り、永遠の平和を樹立されました。(長谷部:13‐14)
主イエス・キリストこそ、わたしたちの平和です。それゆえキリストの教会は、主の聖霊による一致と喜びのうちに神を礼拝し、すべての人を尊び、隣人との間にキリストの平和を具現して、この世界に真の和解と祝福をもたらす「平和の福音」に生きる共同体です。
父・子・聖霊なる神の平和は、キリストにおいてすでに実現しつつも、未だ完成には至っていません。世の終わりに至るまでも、人間の罪に基づく憎しみと争いは絶えることがありません。それにもかかわらず、わたしたちは、この世界が与えることも保障することもできないキリストの平和に生きる者として、あたかも「非戦の人」柏木義円が実践したように、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」(ミカ書4:3)べく、和解の福音を伝え続け、平和のために祈り、この世に真の平和をもたらすあらゆる働きに参与していきます。(長谷部:14)
引用・参考文献笠原芳光「柏木義円」『同志社の思想家たち』1973同志社大学生協出版部
長谷部弘「序文」『平和の福音に生きる教会の宣言』2025新教出版社