映画と信仰

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聖書の言葉

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。

旧約聖書 詩編 23編1~3節

赤石純也によるメッセージ

今朝は、「キリストへの時間」をお聞きの方に、ある映画のお話をさせていただきたいと思います。タルコフスキーという監督の『ノスタルジア』という映画のお話です。タルコフスキーは旧ソ連の映画監督でしたが最後の二つの映画は西側で撮りました。その一つが『ノスタルジア』で、イタリアで撮ったものです。イタリアのどこかの田舎、朝霧が煙っている中に、滲(にじ)むような緑が画面いっぱいに広がっています。その緑の中のあぜ道を車がゆっくりと画面左から右に抜けていったと思うと、もう一度右から画面に入ってきて真ん中で止まる。そんな情景から映画は始まります。そのときに流れている音楽はこんな音楽です。

♪音楽♪

永遠の安らぎを与えてください、と歌っています。朝霧の中の滲むような緑の画面に、「永遠の安らぎを与えてください」という音楽が聞こえてくる。そんな映画の冒頭です。

この映画の最も印象的な場面はこんな映像です。主人公のふるさとらしいロシアの青草の丘が広がっている。霧がたなびいている。粗末な 一軒家がある。家の前の青草には大きな水溜りができています。水溜りの横ではシェパードがこちらを向いてうずくまっている。ロシアのショールを纏(まと)った女の子 が立ってこちらを見ている。今聞いていただいたあの音楽をバックにして、そういう映像が何度も現れるのですね。そして最後にはなぜか主人公も、シェパードと一緒に、その水溜りの傍らに、ズボンが濡れるのもかまわずに横座りになって、片手を青草についてこちらを見ている。ゆっくりとカメラが引いて くると、そのロシアの風景の向こう側の空が少しおかしいのです。空に巨大な柱があるのが見えてくる。さらにカメラが引くと、それは巨大な大聖堂の廃墟の柱なのですね。そのロシアの青草の丘は何と、イタリアの大聖堂の廃墟の中にあるです。

廃墟の壁に囲まれた中で、私たちはあるノスタルジアのようなものをもって生きている。私たちの心が、しっとりとした青草の上で憩えるような場所、そういう魂のふるさとを私たちは求めている。そんなメッセージを強く語り掛けてくる映像なのですね。

また別の場面では、やはり何かの廃屋らしいのですが、そこからも水が湧き出し続けている。青草の地面にはやはり大きな鏡のように水たまりができている。その廃墟の中に カメラが移ると、主人公が膝まで水につかって歩いています。壁にもたれて小さな女の子が座っています。主人公はその小さな女の子にこんなことを聞きます。「満足してる?」。女の子は聞き返します、「何に?」。主人公がいいます、「人生に」。女の子は答える、「うん、人生には満足してる」。この主人公は人生に満足できないのですね。生きていても、何かが欠けているという空虚感。この廃墟のような人生の中で「どうしたら満足して充実して生きることができるのか」、本当に生きた心地のする命を求めているのですね。乾(ひから)びてしまった魂を潤すような、きれいな水を慕い求めているかのように、膝まで浸かってざぶざぶ歩いているのです。

主人公のこの命への求めは、最後の場面では、映画史上これほどの緊張感はないといわれる映像になります。

町の広場にプールのような温泉があります。プールは干上がっています。その中を、主人公がずんぐりした蝋燭(ろうそく)をもって歩くのです。蝋燭の炎を消すまいとして コートで風をよけながら、それでも消えてしまうのですね、そうするとまた初めの場所に戻って、また火をつけて歩き出す。また消えてしまう。それを何度も繰り返す。これを見ていると本当に手に汗を握ってくるのですね。心が締め付けられてくるのです。本当に何かを求めている切実さが見事に映像になっている。

そういう切実な、安らぎへの求めをタルコフスキーは「ノスタルジア」と名づけました。赤茶けた廃墟のような人生ではなくて、滲むような緑の中で本当に憩えるような場所。透き通った 水があって、しっとりと甘い空気を肺一杯に吸い込んで、本当に魂が生き返るような生き方に私たちはノスタルジアを持っている。私たちの魂の憩いはどこにあるのだろう。そういうノスタルジアを、タルコフスキーは映像にしました。その映像に「永遠の安らぎを与えてください」と、祈るように歌う、これほど美しい音楽をのせたのです。もう一度、初めに読ませていただいた聖書の箇所を読みます。その後でもう一度、その音楽を聞きましょう。

詩編23編。わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。

♪音楽♪

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