絵画と信仰

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聖書の言葉

主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』

新約聖書 マタイによる福音書 25章21節

吉田実によるメッセージ

私がお話をさせていただきますときは、絵画と信仰というテーマでお話をさせていただいておりますけれども、今回は特に、先日まで京都で開催されていた「ルーブル美術館展」で展示されていた作品の中からご紹介しています。今朝ご紹介いたします作品は、フェル・メールが描いた「レースを編む女」という題の作品です。フェル・メールは17世紀のオランダで活躍した画家で、その作品は大変少なくて、現在残っているものは30数点しかないのですけれども、彼が描いた風俗画や風景画は、まるで時が止まったかのように今も、その場の情景や雰囲気を美しく伝えています。今朝ご紹介いたします作品は、そんなフェル・メールが描いた「レースを編む女」という作品です。この作品は24センチ×21センチという小さな作品なのですけれども、大きなルーブル美術館の中で宝石のように静かな光を放って輝いています。柔らかな光の中で一人の娘がレース編みに熱中しています。その繊細な手元と一身に作業に集中している娘の表情に、絵を見る者達も思わず息をつめて、一緒にこの作業に参加しているかのような不思議な感覚にとらわれます。そしてこの女性の前の台の上には、クッションや糸と共に、1冊の聖書が置かれています。つまりこの女性は、御言葉に導かれて生きる一人の人として、今自分に与えられた「レースを編む」という作業に、心をこめて集中しているのです。その姿は柔らかな光に包まれて美しく輝き、彼女が行っていることは決して小さなつまらないことではなくて、それは神様の御前に大いに価値があるということ、彼女は確かに神様の祝福のうちにあるということを、私はこの絵を見て感じました。

新約聖書の中に、イエス様が語られました「タラントンのたとえ」というたとえ話があります。ある人が旅に出るにあたって、3人の僕(しもべ)に自分の財産を預けます。それぞれの力に応じて、ある人には5タラントン、ある人には2タラントン、ある人には1タラントンを預けました。そして5タラントン預けられた僕はこのお金を元に、もう5タラントンを儲け、2タラントンを預けられた僕も、もう2タラントンを儲けたけれども、1タラントン預けられた僕は、これを地面に埋めてしまいました。そして主人が帰ってきたときに、5タラントンを儲けた僕も、2タラントンを儲けた僕も、主人から同じようにほめられまして、さらに多くのものを管理させていただくという光栄に預かりますけれども、預かった1タラントンを土に埋めてそのまま返した僕は、主人から厳しい叱責を受けるのです。このたとえ話は、神様からそれぞれに与えられた賜物を忠実に生かして生きることの大切さを教えています。そして大切なことは、この主人は5タラントンを儲けた僕も、2タラントンを儲けた僕も、全く同じ言葉でほめている、ということです。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』という言葉です。主人は僕がいくら儲けたかということを見るのではなくて、ゆだねられたものを大切に用いた僕の忠実さを見て、同じように喜んでいるのです。これが私たちを見つめる神様のまなざしです。私たちはもしかすると、他人と自分を比較する中で、自分に与えられているものに満足することが出来ず、その与えられた大切な1タラントンを土に埋めてしまうようなことが、あるのかもしれません。しかし主人にとってゆだねた金額の違いはその人の価値とは関係がなく、それはその人の個性に過ぎないのです。タラントンというお金の単位は当時の6000日分の労働賃金に匹敵するそうです。1タラントン与えられた人も、莫大なものを主人からゆだねられているのです。けれども、他人との比較の中で、その大切さが見えなくなってしまう。そして自分に与えられた能力や、境遇に満足することが出来ず、与えられた大切な1タラントンを土に埋めてしまう。それは主人にとって大きな悲しみなのです。この「レースを編む女」という作品は、そんな私たちに与えられた1タラントンの価値の高さを教えてくれる、その1タラントンを忠実に用いることの素晴らしさへと促してくれる。そのような作品であると、私は思うのです。

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