神を見て、食べ、飲んだ
神は、イエスラエルの民の代表者たちに、向かって手を伸ばされなかったので、彼らは神を見て、食べ、また飲んだ。
旧約聖書 出エジプト記 24章11節
おはようございます。お正月が過ぎて、明日は、成人の日、二十歳を迎えられた若者たちのためのお祝いの日です。成人となられた晴れ姿、フレッシュな姿に、若い力から元気をもらいますね。学校を卒業され、両親のもとから巣立って、いよいよ独り立ちして、社会に出て働く、社会人となっていくときに、社会のルールを知って、守っていく事が求められますね。
今日も、先週に引き続き、古代イスラエルのお話です。神さまが、モーセを遣わして、エジプトで奴隷だったイスラエルの民を、救い出し、過越の食事をした後で、エジプトを脱出しました。そして約束の地を目指して旅をして、シナイ山という山のふもとに、たどり着いて、宿営したところです。まず神様は、神の民としては、まだ子どものような幼い民ですから、一から教えて育てていくために、契約を結びます。神と人との間でどのように生きていくのか、そのルールですね、神の掟、律法を与えて、契約を結びます。
それは、人が、神さまをあがめて、礼拝する、宗教的な務めと、人と人との間の、市民生活における、道徳的規定があります。その中心的な言葉は、有名な、モーセの「十戒」という10の戒めにあります。十戒には、心を尽くして神様を愛することと、隣人を自分自身の様に愛する、ということが書かれてあります。
単にルールというものではなく、いかに、神の民が奴隷であったところを、神様が憐れんでくださって、愛して、救ってくださったか、と言う救いの恵みに対する、民の応答ですね、神様に、心から従っていこうとすることです。そして、神の民も、お互いに愛し合って、平和に歩んでいくようにと、人格的な関係において結ばれます。
まず、シナイ山のふもとに、神礼拝のために祭壇が築かれ、初めに、焼き尽くすささげ物という、動物を全部焼き尽くし、その煙を神様に向かって立ちあがらせました。雄牛や小羊など、動物の頭に手を置くことで、罪が人から動物へと移って、これで身代わりが成立します。動物の血は、祭壇に振り掛けられ、血は、いのちを表しますから、これで、いのちを贖ったことを表します。聖なる神さまと、罪に汚れた人間は、破れた関係にありますから、これで、正しい関係に、償われます。
もう一つは、神との和解のささげもの、平和のいけにえとして、雄牛がささげられ、動物の脂肪を祭壇で焼いて、神への感謝と賛美を捧げ、動物の胸肉と、もも肉は、祭司への奉げものとなり、残りは礼拝者が聖所で食べる、という神さまを中心とした、食卓の交わりがあって、神との和解、平和の回復を表します。
モーセが、血を半分に分けて、神の祭壇の側に注ぎ、神の恵みによる罪の赦しを表し、民の側にも注ぎ、血の誓約によって、神と、神の民たちを結び付けます。これで契約が成立し、新しい契約関係に入ったということであります。
新しい契約関係に入った、イスラエルの代表者たちは、「神を見た、神の御足の下を見た」という経験をします。その神の御足の下には、「サファイアの敷石のような物があった」とあります。サファイアと、なっていますが、新しい翻訳では、ラピス・ラズリと、直してあります。
このラピス・ラズリを、皆さんは、御覧になったことがあるでしょうか。和名では、瑠璃と言います。色は、鮮やかな輝きを持った、紫がかった青色、群青色で、澄んだ大空や深い海の色です。古代の王朝の装飾品や、日本の正倉院の宝物にもある、大変美しい貴重なものです。
その高貴な輝きのある青色の、宝石の敷石の明るさは、「まさに大空のように澄んでいた」とあります。大空とは、天のことで、その最高の天に、神がお住まいになるとされ、その大空の上にお住まいになる、神の御足の下を見た、ということです。神の御足の下にある敷石を、下から透かして見える、透明画像であるかのように描いています。
この神を「見た」ということは、より特別な認識をもって知ったということです。つまり、神を見て、食べて、また飲んだと言う、食事を共にする、人格的な、親しい交わりのなかで、神を特別に深く知った、と言うことです。「神が手を伸ばされなかった」つまり、神が裁きの御手を下さず、契約が結ばれたので、神が良しとされたと言うことです。
神との契約、親しい交わりの中に入れられ、神をまじかに感じ、御臨在にあずかった。神を見て、食べ、また飲んだと、神との和解と平和が取り戻され、御祝いの、めでたい、祝宴の席に招かれて、体も魂も満たされた。何と麗しい光景でしょう。
今や、時満ちて、御子イエス・キリストの犠牲による、十字架の血によって、罪が贖われ、神と和解し、新しい契約が、主イエスの血によって、立てられました。主イエスを信じるならば、大空のように澄んでいる神の御臨在のもとで、主イエスとの親しい食事の交わりに入れられ、神を深く知ることになるでしょう。