平和を味わう
山口耕平
- 西谷教会 協力定住伝道者
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『主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。』
旧約聖書 イザヤ書 2章4節
暦の上では既に冬が始まっているそうです。今年は雪がよく降る冬になるとの予報も耳にしました。ただこの時期、もう少しの間、赤や黄色に色づいていく山々を見ながら、過ぎ行く秋を味わいたいものです。味わうといえばこの時期、まっさきに思い浮かぶのは新米の味ですが、以前と比べてずいぶんと高くなってしまいました。
先週は、夫婦で挑戦した小さなお米作りを通して、ご近所の方々とずいぶん顔見知りになったというお話をいたしました。今の時期よくお伺いするのは、それぞれの田んぼでお米がどれくらい取れたかということです。今年育てられたお米の品種のこと、また育て方の工夫や新しく準備した道具のこと、そして買取価格のこと。ときには担い手がなくて使われなくなった田畑のことなど、そのお話がなかなか尽きることがありません。
それほどお米の話をよくされるので、じゃあ朝はご飯ですか?と私が伺うと、大抵の皆さんは笑って、朝はパンだよとお答えくださいます。若い時ならいざしらず、朝からご飯は重いのだそうです。ご自身が若いころ、またお子さんと暮らされていた時はそれこそ1日に1升ほどのご飯がなくなっていた。しかし今では、ご夫婦で一度炊いた3合のご飯を二日三日かけて食べている。だから朝は軽くパンで始めるのだそうです。
そのお話を聞いていてハッとしたのですが、そうすると、自分ではもうあまり食べないお米を今でも変わらず作り続けておられるということになります。その理由は、一度作るのをやめてしまうと、次、なかなか採れなくなってしまうからだそうです。ですからお金のため、というよりはむしろ、家から巣立たれたお子さん方のため、またご親戚の方々のため、そしてまたその実りから食べようとする私たちのためにもずっと作り続けてくださっている。お話を伺っていて、私はそのように思わされたのです。
お読みをしたイザヤ書のみ言葉は、国連の本部前にある広場の壁に掲げられている聖書の言葉です。神のみ言葉に聞き従うものは、もはや戦うことを学ばない。それゆえにその壁は平和と安全、また非暴力の象徴となっているそうです。
その一方で、私は、自分自身がその打ち直された鋤や鎌のこと、あるいはそれらを使われる方々について、これまであまり積極的に知ろうとしていなかったということを思わされました。そして主イエスはそうではなく、農家の働きについてよくご存じだったことをも今、思わされています。
皆さまも福音書をお読みいただければ、主イエスが農家の働きについてよくご存じであったことをお気づきになられると思います。ヨセフという大工の息子であった主イエスがなぜ農家のことまでご存じであったのか。それはおそらくその農家でよく使われる道具をも作られていたからでしょう。そしてまたよき隣人として近所の農家の仕事をも手伝われていたのではないかと思うのです。
ですから私たちは、目の前のお米の値段のこともさることながら、そのお米をも地の実りとしてお与えくださる神のことを聖書から学ぶとともに、それらを育てるため、平和の道具を用いておられる方々についても、もう少し学ぶべきではないかとも思うのです。なぜなら私たちが普段から味わっている食べ物は、剣や槍ではなく、それら平和の道具が用いられ、与えられているからです。
『主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。』
もはや戦うことを学ばない私たちはいったい誰から学び、そして何を
どのように味わうべきであるのか。ラジオをお聞きの皆さまとも共にそれらのことを考え、学び、また話し合う機会が与えられることを願っています。