世界を耕し、守るために
主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
旧約聖書 創世記 2章15節
私たちは、日々の暮らしの中で、自然と向き合いながら生きています。土を耕し、木々を育て、空気を吸い、水を飲む。そうした行為は単なる生存のための営みではなく、私たちがこの世界に責任を持って生きることの表れでもあります。
本日の創世記2章15節の御言葉を読むと、そこにはまさに、自然と共に生き、自然を育み、守る者としての人間の姿が描かれています。聖書はそこにこそ、人間の大切な使命と責任があると教えています。今、環境危機や社会の分断が叫ばれる時代にあって、聖書が語る「耕し、守る」という言葉は、私たちが他者と共に、また自然と共に生きるために、とても大切な言葉ではないでしょか。
もちろん、同じ創世記1章28節で、神は人間に対して、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と命じています。ここだけを読みますと、何か人間はこの世界の生き物の中で一番偉く、他の動物や自然を自由に支配しても良いかのように錯覚してしまうかもしれません。そして、実際、この「支配せよ」という言葉が、近代以降の人間中心主義、科学万能主義の思想と結びつき、自然の搾取を正当化する根拠として誤用されてきました。しかし、本来、聖書は人間による自然破壊を肯定などしていません。「支配せよ」という言葉は、「統治する、管理する」という意味の言葉です。決して、人間が好き勝手に自然を搾取し、支配して良いと言うことではありません。神が人間に世界を統治する責任を与えられたのは、この世界を、この大地を、「耕し、守る」ためなのです。
ここで「耕す」と訳されている言葉は、本来「仕える」と言う意味の言葉です。つまり、神は人間に、神が創造なさったこの大地、この世界に仕えさせ、それを豊かに育ませ、守らせる、という大切な働きを委ねられたのです。人間は地の塵から作られました。しかし、神はその人間に命の息を吹き込まれることによって、神の創造なさったこの素晴らしい大地をしっかりと守り、それを豊かに耕していくという大切な働きをお与えになったのです。逆に言うならば、人間はそのような目的を果たすために、命の息を与えられ、神の御前に生きる者とされたのです。
旧約聖書の創世記6章、7章には有名なノアの箱舟の物語が出てきます。その6章19節で、神はノアに対して、「すべての命あるもの、すべての肉なるものを二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい」と命じられました。ここからも人間が他の被造物の命に対して負っている責任を教えられます。
さらに、創世記9章10節を見ると、神は人間だけでなく、すべての生き物とも契約を結んでおられます。考えてみると、鳥や動物との契約はナンセンスです。それにも関わらず、神は地のすべての獣と契約を立てると、あえて言われました。ここから分かることは、それらの生き物は、神が契約を結んでくださるぐらい尊い存在であるということです。それゆえ、人間にはこの世界の生き物の命を守って行く責任があるのです。それは単に人間にとって都合が良いとか、得だからというのではありません。
随筆家の岡部伊都子は、『花のこころ』という作品の中で、「土に触れると、命の根っこに触れるような気がする。耕すことは、命を育てること。」このように書いています。岡部が語る「耕す」ことの意味は、創世記が語る「耕す」という言葉の意味と重なります。私たち人間には、自然を搾取するのではなく、命の循環に参与する者として、土を耕し、命を育む責任があるのです。なぜならば、動物であれ、植物であれ、すべての命の創造者は神であるからです。
私たちはつい「エデンの園」と言うと、既に完成された楽園だと思ってしまいます。何もしなくても、毎日遊んで暮らせる気楽な場所だと思いがちです。けれども、そうではありません。神が人間を神の似姿に創造され、エデンの園に置かれたのは、そこを耕し、守らせるためであったことを忘れてはなりません。人間はエデンの園で、神から与えられた大切な仕事をするのです。そこに人間の本来の使命があります。
ただ、人間は神に罪を犯し、堕落したことによって、この世界を耕し、守るという大切な働きをすることができなくなってしまいました。人間は好き勝手にこの世界を支配し、大地を荒廃させてしまったのです。自然破壊、環境破壊の原因もそこにあるのです。貧富の差、飢餓や搾取の問題もそこから生まれてくるのです。こうして、もはやこの世界はエデンの園ではなくなってしまいました。
しかし、神は、ご自身が創造なさったこの世界を、この大地を、いつまでも荒れたままにはしておかれません。神はこの世界を、大地を、再び豊かな園に回復してくださることを約束なさっています。そのために神は、御子イエス・キリストを、この世界に遣わしてくださったのです。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」(ヨハネ3:17 )からです。そして神は、キリストへの信仰を通して、私たちの命を新しく生まれ変わらせてくださり、この世界の回復と完成のために働く者としてくださったのです。
私たちがなすべきこと、それはこの大地の回復のため、この世界の回復のために働くということです。それは自分ファーストの生き方を変えて、他者と共に、自然と共に生きる生き方へと勇気を出して歩みだすことです。一人一人のそうした小さな一歩が、この世界の回復と、すべての命を育むことに必ずつながって行くのです。