まわりの輝き

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聖書の言葉

あなたの太陽は再び沈むことなく あなたの月は欠けることがない。主があなたの永遠の光となり あなたの嘆きの日々は終わる。

旧約聖書 イザヤ書 60章20節

吉田実によるメッセージ

皆様おはようございます。但馬みくに教会の吉田実です。私は美術が大好きで、大学では美術大学で洋画を学びました。そして牧師になる前は中学校で美術の教師をしていました。そういうこともありまして、このキリストへの時間でも以前は絵画をテーマにしたお話を何回かさせていただいていました。ちょうど今年から再来年にかけまして「大ゴッホ展」が神戸と福島と東京で開催されますので、今回は久しぶりに、フィンセント・ファン・ゴッホについて、お話させていただこうと思います。「世界で一番有名な画家は?」と問われますと皆様は何とお答えになるでしょうか。「レオナルド・ダ・ビンチ」と答える方も多いようですが、日本では「ゴッホ」とお答えになる方が多いそうです。そんな、有名で人気のある巨匠フィンセント・ファン・ゴッホは、じつは生まれてすぐに死んだのです。そしてちょうど一年後の同じ日に、また男の子が生まれたのです。両親は喜んで、亡くなった兄と同じ「フィンセント(勝利者)」という名前を付けました。それが画家のフィンセント・ファン・ゴッホなのです。つまり彼は「二人分のフィンセント」(勝利者)を背負って人生を歩み始めたということです。フィンセントの父親テオドルスは、オランダ改革派教会の牧師でした。ですから、フィンセントは当初、父親のような牧師になりたかったのです。そしてアムステルダム神学大学を目指して一生懸命勉強したのですが、ギリシャ語の動詞の変化を覚えることが出来なくて、ついに合格することが出来ませんでした。とても他人ごととは思えないようなお話ですけれども、でも彼は諦めませんでした。ベルギーのブリュッセルにある伝道師養成学校で学び、ボリナージュという炭鉱の町で彼は献身的に貧しい人々に仕えながら、一生懸命聖書の話をし、神の愛を伝えました。そしてそんな彼を教会もしばらく見守っていました。けれども、伝道委員会が最終的に出した結論はこうでした。「この青年は、良い伝道者になくてはならない素質である良識と精神の均衡に欠けている」。本当はお父さんに認めてもらいたくて、「お前は私の自慢の息子だ」と言ってもらいたくて、一生懸命頑張っているのに、何をやってもうまくいかないフィンセントです。そしてやがて彼は「お前は役立たずだ。お前などいない方が良い」という暗闇の声に悩まされるようになります。そしてそんなフィンセントは、やがて炭鉱で働く貧しい人々の姿を描き始めます。描くことで暗闇の力に立ち向かおうとしたのです。そのようにして画家フィンセント・ファン・ゴッホは誕生いたしました。彼にとって「描くこと」は「生きること」そのものだったのです。

画家として歩み始めたフィンセントを、両親もはじめは応援しようとしました。しかし彼がいとこの未亡人に一方的な恋心を抱いて非常識な行動をとったり、貧しい子連れの娼婦シーンに同情を寄せて同棲を始めたりする中で、家族は次第にフィンセントをどう扱えばよいのかわからなくなって行きます。そして、シーンとの関係も結局破綻してしまい、家族からも疎まれ、身の置きどころがなくなったフィンセントは、パリの画廊で働いていた画商である弟のテオのアパートに転がり込みます。そしてそのパリで印象派の画家達と出会いその明るい色彩に刺激を受ける中で、一つの大きな夢を抱きます。明るい南フランスのアルルに共同のアトリエを構え、画家達の共同体を造る、という夢です。画家達が共同生活をしながら、互いに刺激し合いながら制作を進め、売れるようになった者からお金を出し合って貧しい画家たちを支える。そうすれば、生活のことを気にせず制作することが出来る!そんな計画を立てたフィンセントは、アルルに1件の家を借ります。そしてそこに、まず先輩画家ゴーギャンを招こうとしたのです。そしてゴーギャンを迎えるアトリエを、12枚の「ひまわり」の絵で飾りました。「ゴーギャンは必ず来る。そして彼が来れば、彼を慕う若い画家達もやってくる。そして僕たちは互いに助け合って、共に制作をしながら、共に生きるのだ!」そんな夢を抱いたフィンセントは、次々とひまわりの絵を描き、アトリエを飾りました。このひまわりが放つ光は、彼が思い描いていた理想の共同体を暖かく照らす「太陽の象徴」であり、「この愛の光の下で、僕の孤独と嘆きの日々は終わるのだ」と、彼は固く信じていたと思います。これらのひまわりの輝きは、そんなフィンセントにとって無意識のうちにも、再び沈むことのない太陽、永遠の光なる、主なる神の愛の輝きを映し出すものではなかったかと、私には思えてならないのです。

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