神によって配置された者
4あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。5そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。
旧約聖書 詩編 8編4節-5節
おはようございます。神戸改革派神学校の金昭貞です。
日曜日の朝、皆さんは今どこで、この「キリストへの時間」のラジオをお聞きでしょうか?関西にお住まいの方が多いかと思いますが、今いらっしゃるその場所は、生まれ育った故郷でしょうか?それとも、結婚や仕事のために故郷を離れ、別の地域で暮らしているのでしょうか?もしかすると、私のように母国を離れ、海外で生活されている方もいらっしゃるかもしれませんね。私は韓国を離れ、現在神戸に住んで17年になります。以前は北九州と大阪にもそれぞれ1年ほど住んだことがありました。どちらも素晴らしい街ですが、今ではすっかり神戸に馴染み、ここが一番好きになりました。神戸は、混雑しすぎず、落ち着いた雰囲気があり、とても心安らぐ街です。
そして、神戸市北区には「神戸改革派神学校」という学校があります。プロテスタント教会の牧師を養成するために設立された学校で、私はここで住み込みながらギリシャ語などを教えています。神学校は私にとって職場であり、同時に住まいでもあります。牧師を志し、献身する神学生たちのために授業を準備し、毎朝、共に聖書を読み、祈りと共に一日を始める、そんな日々を送ることができることに、心から感謝しています。
こうして、日本での生活、とりわけ神学校の共同体で過ごす時間は、私にとってとても大切なものです。 とはいえ、こんな日々の中で「迷い」を感じることもあります。言葉の壁を痛感し、異国の地で生きることの難しさを思い知らされる瞬間があるのです。まるで自分に合わない服を着て、招かれていないパーティーに紛れ込んでしまったような、そんな気分になることがあります。「もし日本ではなく韓国にいたら、どうなっていただろう?」、「ここは本当に私がいるべき場所なのだろうか?」特に、人間関係の悩みや思わぬ困難に直面すると、いっそ、自分を大切にしてくれる場所へ移り、気の合う人たちと新たな環境でやり直したほうがいいのかもしれない、と思うことがあります。
そんなある夜、神学校の隣にある公園を散歩していたとき、ふと夜空を見上げました。そこには、澄みきった空にくっきりと輝く月と星々が広がっていました。その瞬間、私は月と星が羨ましくなりました。それは、詩人が「あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。」と歌ったように、神様が月と星をちょうどあるべき場所に配置されたからです。月も星々も神様が定められた場所でキラキラと輝いていました。しかし、その光景を見ながら、「やはり私は、間違った場所に置かれているのではないか」。さらに「もしかすると、神様は私のことをお忘れになったのかもしれない」 とさえ思い込んでしまっていたのです。
しかし、聖書は、「決してそうではない」とはっきりと語っています。神様がご自身の御手で月と星を夜空に配置されたように、私たち一人ひとりもまた、神様によって最もふさわしい場所に置かれています。そして、それだけではありません。神様はただ私たちをそれぞれの場所に置かれただけではなく、常に心に留め、深い愛をもって見守ってくださっています。「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、私があなたを忘れることは決してない」イザヤ書49章の御言葉のとおり、神様は私たち一人ひとりを御心に留め、決して忘れることはないのです。 その通りです。神様は私たちを御手で形づくり、最もふさわしい場所に置いてくださいました。そして、私たちを御心に刻み、決して忘れることなく覚えていてくださいます。そして、夜空の月や星が、それぞれの場所で輝きながら共に存在しているように、私たちもまた、共に生きる存在です。時には、人間関係に悩んだり、理不尽な出来事に落ち込んだりすることもあるでしょう。しかし、神様が置いてくださったその場所で、一つひとつの困難を乗り越えるたびに、私たちはより明るく輝くことができます。人との関わりや試練を通して、私たちは少しずつ成長し、神様の光を映し出す存在へと変えられていきます。そのためにこそ、神様はあなたを今の場所へと導いてくださったのです。もし今、家庭や教会、学校、職場などの共同体の中で、さまざまな困難に直面しているのなら、どうか思い出してください。神様はその苦しみをすべてご存じです。神様は決して、あなたのことを忘れてはいません。今夜、神様があなたを導き、置いてくださったその場所から、夜空の月と星を見上げてみませんか?