マリリン・ロビンソン 苦難と聖書
「人の子よ、わたしが与えるこの巻物を胃袋に入れ、腹を満たせ。」わたしがそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった。
旧約聖書 エゼキエル書 3章3節
ピュリッツァー賞受賞作家、クリスチャン作家のマリリン・ロビンソン。彼女は2004年、アメリカ中西部のいなか町を舞台とする小説『ギレアド』を発表しました。そののち、同じ町、そして同じ人物たちが登場する作品を書きつづけています。2008年に第二作『ホーム』、2014年に第三作『ライラ』を発表し、しばらく「三部作」を形成していました。さらに2020年に第四作『ジャック』が出て「四部作」になっています。
ロビンソンの作品は、聖書と神学を取り上げることにおいて、本格的なものです。そして、プロテスタント教会の礼拝、教会と町の人々、牧師とその家族、これらの現実が鏡に映されるように正確に描かれています。
先輩の牧師が、こんな感想を伝えてくれました。――まるで牧師をした人が書いているようだ。どうしてこんなによくわかっているのだろう。
『ギレアド』の主人公であり、つづくギレアド・シリーズでも主要な人物の一人として登場する牧師エイムズの妻ライラは、謎の多い女性です。
夫エイムズは、彼女が聖書を読んでいるのを見て嬉しく思い、横からのぞきます。すると、聖書になじみがない彼女が、エゼキエル書をひらいています。エイムズは意外に思います。
よりによって、なぜエゼキエル書を選んだのだろう?もっとよい箇所があるだろうに。エゼキエル書には悲しみがたくさん記されている。最初の一歩には向いていないのじゃないか。ところがライラは、ヨブ記が興味深いと言い、エゼキエル書が面白いと言います。エイムズはますます驚いてしまいます。
――ああエゼキエルか、詩のような書だ、と、牧師である夫は説明をはじめるのですが、それには関心がない様子。
――まあ、これもいいが、聖書にはほかにもいろいろあるよ。
初心者にエゼキエル書は難しいと考えるエイムズは、たとえばマタイ福音書はどうかな、と水を向けます。しかしライラは、ヨブ記やエゼキエル書により親しみを感じていました。
作者がそのわけを記します。彼女には苦難が身近なことであったから。そして、自分のことが記されていると思ったから。
ライラはエイムズに言います。聖書は興味深い。聖書には思いがけないことがたくさん記されているから。エイムズがうなずきます。「そうだね、聖書は興味深い」。そして言います。「ぼくも苦しい時を生きてきたよ。」
詩のようなエゼキエル書。力づよく語りかける言葉があります。「人の子よ、自分の足で立て」(2,1)。
エゼキエルは、語りかける者に耳を傾けます。見ると、不思議な巻物が。巻物のおもてにも裏にも、哀歌、うめき、嘆きの言葉が記されています。エゼキエルはそれを食べるよう勧められます。彼は食べます。すると「それは蜜のように甘かった」(3, 3)。苦難にみちた言葉が、えもいわれぬ味わいに変わります。
大切なことが示されます。すなわち「耳を傾ける」こと。聖書の言葉が語られる、聖書についての説教がなされる、それに傾聴する。
力を失い、倒れている。それがもういちど立ち上がる。このことをエゼキエルは体験します。聖書の預言者の体験は、代表としての意味をもちます。倒れている民が再び立ち上がるようにされる。
私たちも倒れます。そして、もう立ち上がれないと思います。しかし、それにもかかわらず、立ち上がるようみちびかれます。ふたたび、三たび!私たちを養うかたの言葉に傾聴することで。
私たちの歩みはままなりません。思ってもみなかった、つらいことを体験します。人知を超える出来事が起こります。苦難を体験します。深い所に突き落とされる。深い所にある自分を嘆く。また、自分の状況に絶望します。そのような私たちに神の言葉が差し出されています。私たちが受け取り、よく噛んでみるように。えもいわれぬ味わいを知るように。力を得て、前に進むことができるように。