キリストと呼ばれるメシア

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聖書の言葉

女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」

新約聖書 ヨハネによる福音書 4章25~26節

袴田清子によるメッセージ

今日は、先週に引き続きサマリアという場所に住んでいた、ある女性とイエス様との出会いの箇所を、共に見ていきたいと思います。

サマリアの女は、5人の夫と離婚し、6人目の男性と同棲中でありました。イエス様は彼女の状況をすべてご存じでした。イエス様はこの事実を指摘されます。罪を自覚させ、神との関係に向わせるためです。サマリアの女性は、まだイエス様がどなたであるか分かっていなかったのです。彼女は将来を言い当て、警告を与える預言者ではないかと考えています。それゆえ、女は、礼拝するべき場所について尋ねています。それに対し、イエス様は言われました。「わたしを信じなさい。まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。」

イエス様こそが、天から下ってこられた神の御子、救い主です。即ち、あらゆるものを造り、今も治めておられる、父なる神様から遣わされた、神の御子であられるのです。この神の御子イエス様は、やがて父なる神様の前に、私達の罪を償うために、御自身の命を差し出されます。すなわち、十字架に掛かり死んでくださるのです。私達が受けるはずである神の怒りと呪いの罰を、私達の代わりに背負い、十字架において償って下さるためです。それゆえ、霊と真理をもって神を礼拝するようになるとは、神の御子であられる、イエス様御自身を通して、もはや礼拝する場所に限定されず、命の神を礼拝するようになるという意味なのです。

この女性には、まだイエス様のおっしゃる内容が分かりません。しかし、キリストと呼ばれるメシアが来られ、全てを教えてくださることだけは知っていると語ります。するとイエス様は言われました。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」この答えは何と驚くべき答えだったしょうか。イエス様は明確に御自身が、メシア、即ち救い主であると言われたのです。この女性にとっては、先祖からずっと言い伝えられ、待ち望んでいた救い主です。その方が目の前におられるというのです。

女性は、驚き動揺しました。水がめを井戸の傍らに置いたまま、急いで町に走って行きました。町はそれまで、決して行きたくなかった場所です。皆から見下され、自分の悪口を言う人で溢れている場所でした。しかし、救い主に出会ったという事実は、そのような状況も、彼女の心のわだかまりも、吹き飛ばす力をもっていたのです。

イエス様もこの女性との出会いを喜ばれました。イエス様は旅に疲れて、井戸の側に座っていながら、水も飲めず、食べる物も口にしておられませんでした。恐らく空腹と渇きを覚えられていたでしょう。しかし、町からもどった弟子達が食事を進めても「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言って、食事を取ろうとはなさいませんでした。心がいっぱいになっておられたのです。イエス様は、真の神以外には埋めることのできない、渇きを覚えていたこの女性が、ご自分のところに来て、御自身のことを知るようになったことに、心から喜び、満足しておられるのです。

真の神は、どのような過去を持ち、今どのような生活をしているかということに関係なく、私達を愛し、招いておられます。御自身のところに来て、命の水を飲むようにのぞんでおられるのです。

真の神であるイエス様は、深く私達の魂に関心をもっておられます。サマリアの女性の全てをご存じであられたように、わたしたちのことも全てご存じです。わたしたちがどのような罪を犯したことがあったとしても、新たにご自身からの生ける水を飲んで、生きることが出来るようにしてくださるのです。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネによる福音書3章16節の御言葉です。

神は、御自分の御子イエス様を世に遣わされました。それは、私達を裁くためではなく、御子イエス様の完全な犠牲によって、私達の罪が赦されるためです。イエス様を信じる者は裁かれないのです。イエス様が代わりに完全な償いをしてくださったからです。

今日、共に、わたしたちの全ての思い煩いを持ったままで、このイエス様のもとに行こうではありませんか。

イエス様は、「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」と言われています。この水をいただくために、救い主イエス様のもとに参りましょう。

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