平和のうちに身を横たえ

西牧夫
- 灘教会 牧師
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「平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。
主よ、あなただけが、確かにわたしをここに住まわせてくださるのです」(詩編4:9)
旧約聖書 詩編 2編9節
嘆きと不安の中での祈り
先ほどお読みしました詩編の祈りには、「平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります」(4:9)とありますように、この詩編は「夜寝る前の祈り」と言われます。この言葉は、信頼に満ちた静けさの中で、安らからに眠りにつこうとする一人の人間の告白のように聞こえます。
しかし、この詩編を祈る詩人は、平穏無事な状態にある訳ではありません。この詩編は、次のような祈りから始まります。「呼び求めるわたしに答えてください、わたしの正しさを認めてくださる神よ。苦難から解き放ってください、憐れんで、祈りを聞いてください」と(4:2)。この詩人は、何かの圧迫に曝されています。その苦難からの解放と救いを求めて、夜、ただ一人神に向かい祈るのです。
夜の孤独
個人的なことですが、わたくしは初めて手術を受け、一週間程の短い入院生活を経験した時のことを思い出します。入院中の夜の独特な時間。人が頻繁に出入りする昼間と違って、人の寝息しか聞こえない静まった夜。その闇の中、眠れないで目を覚ましている時。それは、自分が一人であることを、しみじみと思い知らされる時でもありました。
病に痛み、疲れ、弱ってくると、その肉体を抱え込んだ自分の存在を受け止め、支えてくれる何ものかを呼び求めずにはおれません。詩人の心には、不安や嘆き、諦めといった様々な声が湧き起こっていたに違いありません。しかし、まさにそのところで、この詩人は、自分自身を超えて、神を呼び求めるのです。祈りはそこに生まれます。
「呼び求めるわたしに答えてください、わたしの正しさを認めてくださる神よ。苦難から解き放ってください、憐れんで、祈りを聞いてください」と(4:2)。
苦難からの解放の経験
詩人が祈り求める神は、抽象的な何ものかではありません。そうではなく、「主よ」と呼びかけ、その祈りに具体的に答えて臨み、共にいてくださる、具体的な方です。かつて、詩人は、この方に祈り求める中で、息苦しさや胸のつかえを感じる「狭い所」から、ゆったりと寛ぐこととのできる「広い所」に導き出される経験をしました。詩人は、自分が経験した神のこの解放と救いの御業を想い起こしながら、今、この方に依り頼んで、解放と救いを祈り求めるのです。
神への信頼の広大な世界
「主よ」。このように呼び掛けて、祈り始める。それは、自分を超えた「神への信頼の広大な世界」に解き放たれることです。この信頼の中で、詩人はこう祈ります。「主よ、・・御顔の光を向けてください。人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。それにもまさる喜びをわたしの心にお与えください」(4:7~8)。麦や葡萄が豊作に恵まれる時、人々は喜びます。しかし、詩人が神から求める喜びは、そのような物質的な喜びを遙かに超えています。
人間に最も必要な源からの信頼と平安、何よりも無条件で愛されているとの決して失われることのない喜びは、ただ神だけが与えることができるものです。そして、この神と共に在る喜びを確かに受け取り、経験した詩人は、最後にこう告白します。「平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。主よ、あなただけが、確かにわたしをここに住まわせてくださるのです」(4:9)。
共に在す主の平和
夜の闇がどんなに深くとも、朝の来ない夜はありません。死の闇に勝利して復活し、全く新しい朝の光を輝かされた神の御子イエス・キリストが、あなたを照らすために来ておられます。私たちは、この方に信頼して呼び求め、すべてを委ねることが許されています。
「平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。主よ、あなただけが、確かにわたしをここに住まわせてくださるのです」。
祈り
主よ、あなたが共にいてくださる平和の中に、
わたしどもの一日の歩みを守り、支えてください。