永遠の命に至る水

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聖書の言葉

イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

新約聖書 ヨハネによる福音書 4章13~14節

袴田清子によるメッセージ

今日は、サマリアという地域に住んでいたある女とイエス様が出会われた箇所から、共に聖書に聞きたいと思います。

このサマリアの女性には5人の夫がいましたが、離婚を繰り返し、今は同棲中でありました。この女性は、真昼の暑いさなか、自分の住んでいる場所からかなり離れた井戸まで、生活用水を汲みに来なければなりませんでした。恐らく人目を避け、近所の人とで出会うのを避けて、生きていたと思われます。そのような彼女とイエス様は出会って下さいました。

ある日井戸の傍らに、旅の途中のイエス様が座っておられました。弟子達が町に食べ物を買いに行く間、疲れて休んでおられたのです。そして、そこに水を汲みに来た彼女に「水を飲ませて下さい」と頼まれます。彼女はイエス様が自分に話しかけられたことに驚きました。当時は公の場所で男性が女性に話しかけるということは無かったからです。また、ユダヤ人であるイエス様と、サマリア人である彼女は、互いの民族間に長い間存在する宗教的民族的対立の故に、互いに会話を交わすことは無かったはずだからです。

しかし、イエス様は、語り掛けられます。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのが誰であるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」イエス様は、御自身が神の御子であること、そしてご自身が、『生きた水』を与えるお方であることをこのサマリアの女にはっきりと語られました。『生きた水』とは流れる水のことですが、イエス様が言われる『生きた水』は、神の元から流れる水のことを指していました。

しかし女性は、この言葉を理解出来ません。「あなたは汲む物を持っておられないのに、どこからその水を手に入れるのですか」と問い返します。そこで、イエス様は、次の言葉を語られたのです。

「この水を飲む者はまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

イエス様ご自身が与えられる水を飲む者は決して渇かない。主イエスがお与えになる水は、それを飲む人の中で水が絶え間無く流れ出る泉となり、永遠の命に至る水が湧き出ると言っておられるのです。

『水』は肉体を支えるために、どうしても必要なものです。しかし、神の与えてくださる、命の水は私達の魂が、霊的に生き返るために必要なものなのです。サマリアの女にとっては、切実に必要なものでした。そして、私達一人ひとりにとっても、必要なものなのです。たとえ様々な他の物によって日ごろ心を紛らわしていても、神御自身から流れ出る水によってでしか、魂の真の渇きは癒されないのです。イエス様はこの命の水を与えると語っておられます。真の神の元から流れ出る永遠の命の水を与えると言っておられるのです。

新約聖書のヨハネの黙示録21章6節にこのような御言葉があります。

「わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から値なしに飲ませよう。」

神の元から流れ出る水。それをただで与えると神は語っておられるのです。イエス・キリストが御自分の命を掛けて、十字架に御掛かり下さり死んで、私達の罪を償ってくださいました。そして今やイエス様が命を投げ出してくださったことにより、イエス様御自身から命の水が信じる者に無償で与えられるのです。

このサマリアの女も決して渇くことの無い水、泉となってわき出る水、永遠の命に至る水が欲しいと思いました。そして「渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」と頼みます。するとイエス様は、彼女自身に係わる本質的な問を投げかけられます。「行って、あなたの夫をここに呼んできなさい。」女性の惨めな生活に関する質問です。最も知られたくない、恥ずかしい部分です。彼女は率直に「自分には夫がいない」と答えます。イエス様は、彼女には夫がいないだけでなく、5人夫がいたが、離婚し、今は結婚せずに同棲している、と明かされます。このことにより、彼女はイエス様が自分の全てをご存じであると知ります。そして、イエス様はそのことをご存知の上で招いて下さっていると知るのです。イエス様は私達の全てをもご存じです。そしてその上で招かれます。

私達は神の元から流れ出る命の水によって癒されるのです。それは、イエス様が、私達の罪の呪いと罰を、引き受けてくださり、十字架に掛かって死んで下さったことによって、信じる者に現実となります。

「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で、泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

十字架に掛かり、死なれた後に、今も天において生きておられる救い主イエス様は、あなたも招いておられます。

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