欺くことのない希望を与える神の愛

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聖書の言葉

「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」(ローマの信徒への手紙5章3節~5節)

新約聖書 ローマの信徒への手紙 5章3節-5節

松田義人によるメッセージ

皆さん、おはようございます。日々、希望をもって歩んでおられるでしょうか。私は仕事で、高齢者大学と関り人生の先輩たちと親しくさせていただいたことがありました。そこでは、あのサミュエル・ウルマンの「青春の詩」が時々に紹介され、年齢とは関係なく青春を楽しんでおられました。その中の有名な言葉は「青春とは真の青春とは若き肉体のなかにあるのではなく若き精神のなかにこそある。」です。また、「希望がある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力を感じ取ることができる限り、その人は若いのだ。」との言葉もあります。日々、自分が一人ではなく共に過ごす仲間がおり、希望がある、このことが、若さ、青春を楽しむ力であると、その時私もつくづくと感じました。

しかし、毎日の現実の生活には苦しいこと、悩むこと、忍耐することも多いのではないでしょうか。いや、楽しい、充実感を覚えることができるのは、こうした忍耐すべきことがあるからかも知れません。私が若い時に務めた高校では校長先生が朝礼で、また様々な学校行事の時に生徒たちに繰り返し、ロマン・ロランの「へートーヴェン伝」にあるベートーヴェンの「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」との言葉を語っておられました。耳が聴こえなくなった苦悩の中からあの交響曲第九番が生まれたのです。私たちも様々な苦しい経験を通して忍耐を学び、そして喜び、希望へと至る体験を繰返します。

しかし、人生の最後まで希望の中に生きることができるでしょうか。これまでの人生を振り返り、満足することはあるかもしれません。また、子どもや孫の姿を見て安心することができるかもしれません。でも死んだ後、自分自身はどうなるのか、このことは、全ての人にとって最後の問いではないでしょうか。ここに、宗教が扱う事柄があります。

そこで、私からは、皆さんに聖書が語る真理をお伝えしたいと思います。まず、私たち人間も含めて世界の全ては神によって創造されたということです。そして、この神は隠れた神ではなく、私たちにご自分のことを、創造された自然を通して、また聖書の言葉を通して明らかに語って下さっている神です。そこには神のご意志が、すなわち私たち人間への愛が示されています。聖書の語る神とは、自分勝手に私たちに何かを強制するようなお方ではありません。そこには私たちへの愛があります。

私たちの思い悩みは、自分中心に考えて生きようとすることから出てきます。創造された神から離れ、自分勝手な思いで生きようとする時、一人一人の思い、欲がぶつかり不和、衝突が起こるのではないでしょうか。今、世界で起こっている戦争、紛争はその表れです。この姿が神から離れた、罪の中にある私たち人間の姿なのです。この現実を聖書は隠しません。そこにある問題を、その結果としての悲惨を明らかにします。自分の周りにある苦難や忍耐だけでなく、広く社会・世界を見る時にも私たちはこの悲惨に心を痛めるのではないでしょうか。

先にお読みしました聖書の言葉に「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むことを。」とありました。これは先ほどのベートーヴェンの言葉に通じるかもしれません。彼の言葉は私たちに勇気を与えるでしょう。しかし、それは彼が苦悩の中で、なお励んだ努力の結果としての「歓喜」の体験です。

これに対して、聖書は続けて「希望はわたしたちを欺くことがありません。神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」と、その希望が与えられたもの、そして確実なものであることを語っています。この神の愛とは、この前に述べられている「わたしたちの主イエス・キリストによって神との平和」を得させる「愛」です。聖書は、神から離れて自分の利益を第一として歩む私たちを今一度、創造者である神と和解させ、そうした人の思いではなく「自分のように隣人を愛する」思いへと変えてくださると語ります。それはどうしてでしょうか。聖書は、イエス・キリストが、私たちの罪(神から離れ、背くこと)を赦すために身代わりとして十字架に架かってくださったと証しします。イエス・キリストご自身、ヨハネによる福音書10章11節で「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」と語っています。この愛が私たちの希望の源です。

また、聖書はこのイエス・キリストが復活なさって今は天におられ全てをご支配なっていること、続けて主イエス・キリストが再びこの世に来られる終わりの時に、ヨハネ黙示録21章3、4節で「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや悲しみも嘆きも労苦もない。」と新しい天と地が現れ、神と共に永遠に生きることを約束しています。

このことは、今はおわかりいただけないかも知れません。しかし、聖書は今の現実を生きる私たちを苦難から希望へ導き、そして死後についてもすばらしい永遠の命を約束しています。どうか、この神からの救いのメッセージを聖書から聞き取っていただきたいと思います。聖書は「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」と語っています。是非、お近くの教会へと足をお運びください。

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