わたしを愛しているか

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聖書の言葉

食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。

ヨハネによる福音書21章15節

新約聖書 ヨハネによる福音書 21章15節

宮武輝彦によるメッセージ

おはようございます。男山教会の宮武輝彦です。今日も、主イエス・キリストの恵みが皆様の上に、豊かにありますように。

十字架の死から三日目に復活された、イエス・キリストは、三度目に、弟子たちに現れたとき、ガリラヤ湖とも呼ばれるティベリアス湖畔で、朝の食事を弟子たちといっしょにしました。

食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われました。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われました。

すると、二度目に、イエスは言われました。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われました。

三度目に、イエスは言われました。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなりました。そして言いました。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは、言われました。「わたしの羊を飼いなさい」。

このように、イエス・キリストは、弟子の一人、ペトロに三度、「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」とたずねられました。ペトロは、漁師の子でした。ですから、羊飼いのような仕事をしていたわけではありませんでした。けれども、イエス・キリストは、ここで、その羊は、「わたしの羊」と言います。つまり、イエス・キリストが養っておられる羊を飼うように、ペトロに命じられたのです。

イエス・キリストご自身このように言われました。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。(中略)彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる」(ヨハネによる福音書10章11~15節)。

ペトロにとって、イエス・キリストから、「わたしを愛しているか」と三度たずねられることは、自分の心をさぐされる深い問いとなりました。弟子たちは皆、イエスが敵の手にわたされたとき、逃げ去ってしまいした。けれども、ペトロともう一人の弟子は、イエスが裁判にかけられていたとき、裁判の場所の近くにいたのです。このとき、門番の女中はペトロに言いました。「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか」。ペトロは、「違う」と言いました。するとこんどは、ペトロが立って火にあっていたときのことです。人びとが、「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」と言うと、ペトロは打ち消して、「違う」と言いました。このとき、大祭司の僕の一人、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者も言いました。「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではありませんか」。ペトロは、再び打ち消しました。するとすぐ、鶏が鳴いた、のです。(ヨハネによる福音書18章16~27節)

じつは、このことは、十字架にかけられる前の日、イエスご自身が、ペトロに予告しておられたことでした。

イエスは、ペトロをもとの名、シモンと呼んでこう言われました。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」そして、イエスへの忠誠を誓うペトロに、イエスはこう言うのです。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」。(ルカによる福音書22章18~34節)

ペトロは、鶏が鳴いた時、このイエスの言葉を思い出し、「外に出て、激しく泣いた」(ルカによる福音書22章62節、マタイによる福音書26章75節)のです。

十字架の死から復活されたイエス・キリストは、三度目に、弟子たちに現れたとき、ペトロ一人を、とくに責めておられるのではありません。そうではなく、三度となく、自分を否んだペトロであっても、新たな力を与えて、「わたしの羊を飼う」者となるように、命じてくださったのです。

聖書では、教会とは、神が招き集められた群れのことを指します。羊にたとえれば、イエス・キリストが、羊の群れを飼う、羊飼いです。イエス・キリストの言葉によって、群れを養う者のことを「牧師」「司牧者」と呼びます。それは、イエス・キリストの群れを養う使命を与えられた者の働きを表す言葉です。けれども、牧師も同時に、羊なのです。それは、牧師も、大牧者でいます、キリストの羊の一人であるからです。

ペトロ自身、各地の教会に宛てた手紙でこう伝えました。「あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい」(ペトロの手紙一5章2節)。このように、キリストの教会は、そのはじめから、キリストが養う群れなのです。

イエス・キリストは、すべての人の救い主です。そして、この御方は、自ら十字架の上に、命を捨ててくださったほどに、あなたを愛しておられます。この御方のもとに、本当の愛と命があることを知って、この御方のもとに、教会に来てください。心からお待ちしております。

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