“完全食”の話

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聖書の言葉

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。

新約聖書 ヨハネによる福音書 6章56節

吉田隆によるメッセージ

皆さん、いかがお過ごしでしょうか。甲子園教会の吉田隆と申します。今日の聖書の言葉をお聞きください。ヨハネによる福音書6章56節にあるイエス・キリストの言葉です。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」。▼「完全食」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。商品としては「完全栄養食」とか「完全メシ」などという名前で売り出されている物もあるようです。要するに、完全な食事ということです。で、何が完全かと言いますと、その物を食べるだけで、人間が健康を維持するために必要なすべての栄養を取れるからなのだそうです。そう言えば、ずいぶん前から、忙しい朝にはこれだけでとか、ダイエットにはこれがいいとか、宣伝されていたように思います。▼わたしが今回驚いたのは、最近のネットのニュースで、この完全食だけを6年間も食べ続けているという人が話題になったからです。この方の場合は、食べてさえいない。粉を溶かして飲むだけなのです。そもそもなぜそんな生活を続けるようになったかと言うと、現在35歳というこの方の場合、とにかくやりたいことがたくさんあって、食事の時間がもったいないというのが一番の理由だったそうです。食事のために準備する、食べる、片付ける。おまけに食べると眠くなるということで、滅茶苦茶効率が悪い。粉の完全食を溶かして飲めば、20秒で終わるし眠くもならない、ということなのです。▼昔から「三度のメシより●●が好き」という表現があるように、確かに食事を取るよりも好きなことに没頭する人、したい人はいましたし、かく言う私自身も、その気持ちはよくわかります。けれども、食べるというのは、はたして栄養を取るということだけなのか、ということが一番の問題でしょう。この方は、まだ若いのであまり気づかないのかもしれませんが、人間はやがて年を取り身体が弱くなると、食欲そのものが無くなってくる。さらには、噛む力や飲み込む力もなくなる。そうして嫌でもミキサー食や、ついにはチューブや点滴で栄養だけを身体に直接送り込むようになるのですね。▼いえ、若い時であっても、大きな悩みや悲しみで心がいっぱいになると、食べ物が喉を通らない。拒食症などの摂食障害になることもあります。つまり、人間は、身体も心も健やかでないと食事という行為はできない、ということです。言い換えれば、食事というのは、単に栄養を取るというだけでなく、身も心もすべてが関わる行為、身も心もすべてを養う行為だ、と言えるのではないでしょうか。▼ある時、イエスという方は、不思議なことを言われました。「わたしは、天から降ってきた生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」。ご自分が人に命を与えるパンである。この世の命だけでなく、永遠に生きる命を与えるパンである、と。ここまでは、何となくわからないでもないのですが、イエスはさらに「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」ともおっしゃいました。面白いですね。言わんとする内容は、実は同じことなのですが、パンを食べると言うのと、イエスの肉を食べ血を飲むと言うのとでは、イメージが全然違います。肉や血というのは、かなりグロテスクなイメージになってしまいますね。実際、聖書を読みますと、この言葉がきっかけになって、多くの人が「こんな酷い話を聞いていられるか」と言って、イエスから離れて行ってしまったと書いてあります。それでは、いったいなぜイエスは、こんな酷い誤解を受けるようなことをわざわざおっしゃったのでしょうか。▼確かに、肉を食べるとか血を飲むという表現は、グロテスクかもしれません。けれども、例えば、お母さんのお腹の中にいる赤ちゃんのことを考えて見ましょう。お腹の中の赤ちゃんは、お母さんが食べたり飲んだりするものが、赤ちゃんの血となり肉となる。あるいは、お母さんの身体や血の栄養そのものを取って大きくなるのですね。それを、お母さんを食べている、飲んでいる、と言っては言い過ぎでしょうか。あるいはまた、私たちは、自分の子どもや愛する人が命の危険に陥った時に、自分の血や臓器さえも提供しようとしないでしょうか。自分の肉や血を捧げても、子どもや愛する人に生きてほしいと願うからです。▼もうおわかりでしょう。イエスが「わたしの肉を食べ血をのみなさい」とおっしゃったのは、私たち罪深い者たちを心の底から愛しておられるからなのです。単にパンという抽象的なものではなく、命の通う肉や血と言うことによって、イエス・キリストの嘘ではないリアルな命、リアルな愛に、あなたたちは生きてほしいと願うからなのです。自分の命のすべてを捧げても、何とか生きてほしいと願っておられるからなのです。イエスの十字架は、そのためでした。▼忙しい朝や、仕事に没頭している時には「完全食」も必要かもしれません。しかし、私たちの人生丸ごとを、身も心も、すべてを健やかに、そしてを温かく包んで、永遠に生かしてくれるのは、イエス・キリストの命だけです。イエス・キリストというこの方だけが、私たち人間に天から与えられた、ただ一つの「完全食」なのです。

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