神の国を求めなさい

寺川和宏
- 奈良教会 定住伝道者
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何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えてあたえられる。
新約聖書 マタイによる福音書 6章33節
おはようございます。わたしは奈良教会の定住伝道者の寺川と言います。宜しくお願いいたします。今週と来週は2回に分けて、マタイによる福音書6章33節より学ばせて頂きたいと思います。
今週は「神の国を求める」ことについて考えてみたいと思います。私事で恐縮ではありますが、わたしは20代の頃に、夜中に急に喘息の発作が起こり、緊急入院をしたことがありました。
喘息になったことがある方は、お分かりかと思いますが、喘息というのは炎症によって気道が狭くなることから呼吸が苦しくなります。この呼吸が出来ない苦しさというのは、本当に死んでしまうのではないかと思う程につらいものです。
わたしはこの緊急入院の経験から、死というものを身近に考えるようになりました。とくに、
「死んだ後、自分はどうなってしまうのか」ということが、わたしの中での一番の疑問となっていったのです。
当時の、わたしはまだ教会に行ったことはなく、クリスチャンではありませんでした。また、わたしの周りにもクリスチャンは1人もいませんでした。そのような中で、死んだらどうなるのかと周りに聞いてみても「わからない」とか「無になるのでは」という答えしかかえって来なかったように思います。そのような答えを聞き、わたしは余計に不安な思いにかられたのを覚えています。
しかし、30歳を過ぎてから、神港教会で開催されたパイプオルガンのコンサートをきっかけに教会へと続けて通うこととなります。教会に通いはじめたばかりの頃は、普段の仕事で疲れていたこともありますが、礼拝の雰囲気になかなか慣れることが出来ずに、長老さんの祈る牧会祈祷や、説教でも途中で寝てしまうような、まじめには程遠い者であったように思います。
しかし、あるとき、牧師先生の説教の中で、主イエス・キリストを信じて歩む人は、死んだときには、すぐに、神様の国へと行くことが出来る。あるいは、神様の御支配の中、神様との永遠の交わり入れられると教えていただき、ハッとしたのを覚えています。
つまり、今まで、わたしの中には「死んだらどうなってしまうのか」という問いに対して、「わからない」か「無になる」という答えしかなかったのですが、主イエス・キリストを信じることによって、神の国で神様との永遠の交わりの中に生きることが出来るというハッキリとした答えにたどり着くことが出来たのです。
それまでは、パイプオルガンの演奏や、普段の生活にはない礼拝の雰囲気を味わいたいといった、どちらかと言えば、単に自分の興味本位で礼拝に参加していました。しかし、この時からは、聖書のことをもっと知りたいと思うようになり、聖書の言葉に耳を傾けるようになったのです。
おそらく、このとき、聖霊が働いて「死んだらどうなるのか」という長年のわたしの中での疑問に答えてくださり、神様のことを知りたいと思わせて下さったのだと思うのです。そして、神の国にこそ、わたし自身が、長年思い悩んでいたことに対する答えがあるという確信に至ったのです。
もう一度、本日の「マタイによる福音書6章33節」を見てみたいと思います。
33何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えてあたえられる。
主イエス・キリストは、この前の箇所で、弟子たちに向かって、自分の命のために、何を食べようか。何を飲もうか。何を着ようか。と思い悩むなと言われています。そういったことに思いを向けるのでは無くて、何よりもまず、一番に、神の国と神の義を求めなさいと教えておられるのです。
わたしたちが生きていくためには、食べ物や飲み物や着る物は必要です。また、これ以外にも、わたしたちが普段の生活していく中で、多くの悩みを抱えながら歩んでいるのだと思います。
しかし、主イエス・キリストは弟子たちに向って「思い悩むな」と言ったあとで「空の鳥をよく見なさい」と言われました。弟子たちの現状の悩みではなく、客観的に空に飛んでいる鳥に目を向けさせます。
そして、主イエス・キリストは、空に飛んでいる鳥は、「種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは鳥よりも価値あるものではないか。」と言われました。つまり、神様の愛によって、鳥が養われており、わたしたち人間は、鳥以上に神様より愛され、心にかけられている存在であること。そして、神様がわたしたちを愛され、心にかけてくださっているからこそ、思いなやむことはないのだと教えておられるのです。
そして、主イエス・キリストは「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」と言われました。自分の目の前にある悩みに目を向けるのではなく、神の国と神の義を求めなさいと言われました。神の国に生きるとは、神様の愛の御支配の内に生きるということです。そうすれば、わたしたちを愛してくださり、わたしたちに必要なものをご存知であられる神様が、必要なものをお与えくださるのです。
また、教会とは神の国のあらわれであると言えます。この「キリストへの時間」や、多くの教会の説教の動画を見るのも良いのですが、一番良いのは、実際に、お近くの教会に足を運んでいただくことです。
どうか、神の国を求め、教会への一歩を歩み出してください。そうすることで、わたしたちを愛しておられる神様が、わたしたちに、何よりも必要なものを与えてくださるのです。