あなたを願う

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聖書の言葉

イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。」

新約聖書 ルカによる福音書 22章15節

吉岡契典によるメッセージ

ご存じのとおり、十二人の弟子の一人であったユダは主イエスを裏切りました。ユダは裏切りの機会を、この時すでに虎視眈々と探っていました。そんなユダにとっては、主イエスが群衆から離れて、弟子たちと共にプライベートな「過越の食事」をする、その最後の晩餐の時こそが、主イエスを捉えて当局者たちの手に売り渡す、絶好のチャンスでした。ですからユダはこの時、主イエスを裏切るスパイとして、その「過越の食事」の場所を特定しようと探っていたのです。

けれども主イエスは、22章8節にありますように、ペトロとヨハネの二人だけを指名して、「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と命じられました。二人は、「どこに用意いたしましょうか」と尋ねます。つまり、この時点では、どこで食事会を催すのか、場所の目星が皆目誰にもついていない状態でした。そこで主イエスは、さらなる指示を二人に与えられます。10節からお読みします。「イエスは言われた。『都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、家の主人にはこう言いなさい。「先生が、『弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか』とあなたに言っています。」 すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。』」

不思議な指示の仕方です。都に入って男に出会ったら、その人が入る家までついていきなさい。そして家に入ったら、そこの主人に交渉しなさいと、本当にギリギリまで、2人がどこの家に行って、誰と交渉するか、実際に指示通りに現地に行ってみて、そこに立ってみないと分からないかたちになっています。

さらに、何かお宅訪問のテレビ番組で、家の間取りを確認しているような進行具合で、主人と話したら、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備しておきなさいと。決して建物の一階の部屋ではないわけです。外からはすぐには見えない。家の中の奥に入って行って、階段を登って、上に上がってみないと、その席の整った広い部屋は目の前には見えてこない、というかたちです。こういう指示を、主イエスはペトロとヨハネの2人だけを呼び出して、2人にだけ語っておられる様子です。仮にこの指示をユダが密かに盗み聞きしていたとしても、この指示ではその部屋の場所は割り出せません。そして、指示を受けながらも、全く場所が分からないままスタートして行った2人は、現地に行ってみて初めて、ああ、ここかと分かった。そして二人だけで、食事の準備をしました。

一体なぜ、主イエスは、こんなことをされるのでしょうか?その答えを示すのが、15節の主イエスの言葉です。そこには、「イエスは言われた。『苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた』」とあります。

苦しみを受ける前に、十字架に架かる前に、あなたがたと共に、この過越の食事をしたいと、切に願っていた。

つまり、この過越の食事に、最後の晩餐に、ユダも一緒に入れたかった。主イエスは、最後の晩餐の食卓を、誰にも邪魔されずに、ユダも含めた12弟子の全員と一緒に、なんとしてでも囲みたかった。それをせずには決して死ねないと、主イエスは強く思っておられたのです。

最後の晩餐が終わった後に捕まり、次の日の正午には十字架の上で体を引き裂かれる主イエスが、その御自分のことを棚に上げて、ずっと考えてくださっていたのは、ユダのことでした。この時だけでなく、いや、最初に出会った時からずっと、主イエスはこの日に起こるユダの裏切りを知っておられて、裏切るユダを、「裏切り者にはその資格はない」、「そんな奴は御免だ」、ではなく、「裏切り者だからこそ、最後の晩餐の席に着かせたい。そういうユダからこそ、この最後の晩餐の席に着かせないわけにはいかない」と、主イエスは、自分を金で売ってしまうユダを、残念に思い、不憫に思い、しかし愛し、招き、誰よりもそのユダにこそ、ユダのためにも裂かれたわたしの体、ユダのためにも流されたわたしの血、そのパンとぶどう酒を、与えないわけにはいかなかったのです。

主イエスを裏切ったことのないような人は、ここには一人もいませんし、これから主イエスを決して裏切らないという人も、一人もいません。そういう弱く、よこしまなこの自分自身が末恐ろしくもあります。

けれども、どうでしょうか?教会では、弟子たちに与えられた主の晩餐が、同じようにして私たちのためにも用意されます。「あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っている」と、主イエスは、この私たち一人一人のことも、そのあなたのことも、聖餐式の席についてほしいと、願ってくださっています。

神を裏切ったら終わり、ではありません。私たちが何度裏切っても、裏切る私のために引き裂かれた、主イエスが与えてくださるパンとぶどう酒に、主イエスは何度も、わたしを招いてくださり、あなたを教会に呼んでくださり、聖餐式の席にあなたが着くことを、主イエスは何より強く願っていてくださいます。この私の多くの裏切りよりも、もっと強く大きいのが、あなたを願う神様の愛です。

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