自分にがっかりしたこと

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聖書の言葉

あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神、主は言われる。恐れるな、虫けらのようなヤコブよ。イスラエルの人々よ、わたしはあなたを助ける。

旧約聖書 イザヤ書 41章14節

山口耕平によるメッセージ

皆さんは、自分にがっかりしたことがあるでしょうか。なぜ、こんなことさえ出来ないのだろう。なんて自分はちっぽけな存在なのだろう。たとえその一つひとつがたいしたことはなくても、それが積み重なると、どこか自分自身にがっかりしてしまう。自分が嫌いになってしまう。こういうことがあります。

わたしは以前、妻や兄夫婦と協力しながら認知症を患う父の介護をしていました。そうしながら牧師になるための学校、神学校というところに通っていました。父の着替えを手伝って、洗濯機をかけて、朝ごはんを用意する。そして用意した朝ごはんを父と一緒に食べて、父とヘルパーさんに見送られて、慌ただしく神学校へと向かう。そんな日々を過ごしていました。今日もどうにか授業に遅れないで到着出来た。ホッとして席に座り、教科書とノートを取り出します。そして先生が来られてお祈りのあと、授業が始まります。いけない。書くものを取るのを忘れたと思ってカバンを調べると、その日筆箱を忘れていることに気付きました。慌てて前の席に座っている同級生から、シャープペンシルを借りました。

次の日忘れないようにと思って、指差し確認をするようにしました。教科書、ノート、そして筆箱。よし、ちゃんと持ったと確認をして、また父に見送られて授業に向かいました。ホッとして席に座り、教科書とノート、そして今度は筆箱も忘れないように取り出します。そして先生が来てお祈りのあと、授業が始まります。筆箱からシャープペンシルを取り出して、いざ書こうとすると書けません。今度はシャープペンシルの芯がありませんでした。慌ててまた、前の席の同級生から今度はシャープペンシルの芯を借りました。

その次の日です。教科書にノート、そして筆箱。筆箱には予備の芯もいれました。そして父に見送られて授業に向かいました。教科書とノート、そして筆箱を取り出し、シャープペンシルも出しました。今度こそ大丈夫。先生が来て、お祈りをして、授業が始まります。いざ授業が始まりノートを開いて、とても悲しくなりました。今日はノートに書くページが残っていなかったのです。同級生からまた、ルーズリーフの紙を何枚かもらいました。そんなささいなことが手を変え、品を変え、1か月くらい続きました。なにかをすれば何かがダメ。毎日助けてもらわないといけない。そんな自分に心底ガッカリしました。自分ってなんてちっぽけなんだろう。なぜこんなことさえ出来ないのだろう。そう思いました。

そんなわたしのことを聖書の言葉が支えてくれました。「恐れるな、虫けらのようなヤコブよ。イスラエルの人々よ、わたしがあなたを助ける。」虫さんたちには失礼ですが、普段誰かから「虫けらのよう」なんて言われたら、わたしは怒っていたかもしれません。でもこのみ言葉が与えられたときは怒るどころか、神さまはわたしのことをよく見てくださっている。そう思いました。「虫けらのよう」。そう、聖書から言われてむしろホッとさえしました。なぜなら、そのとき私が苦しんでいたのは、私自身のちっぽけさだったからです。

神さまは聖書を通して、そんなわたしにまず「恐れるな」と言ってくださいました。神さまの前ではがっかりすること、自分がちっぽけだなと思うことをこれっぽっちも恐れなくていいのですね。なぜなら私たちは神さまに造られた。そう聖書には書いてあるからです。そして私たちの小ささを神さまはずっと前からよくご存じだからです。「恐れるな、…わたしが、あなたを助ける。」そんなわたしを助けてくださった神さまが、今日ラジオをお聞きの皆さまの日々を支えてくださることを祈っています。

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