戦場のクリスマス

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聖書の言葉

「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

新約聖書 ルカによる福音書 2章12節

川瀬弓弦・エダによるメッセージ

今日はクリスマス・イブですね。本日も、まず最初に川瀬エダ姉のクリスマス賛美をお聞きください。「天なる神には」という平和を歌った賛美歌です。

♪賛美

日本におりました時、非常に素晴らしい映画を見ました。イギリス、ドイツ、フランスの合作で、「戦場のアリア」という映画です。これは第一世界大戦初期の1914年に戦場で実際に起きたクリスマスの出来事に基づいて造られた映画です。最前線では、スコットランドとフランスの同盟軍がドイツ軍とわずか100メートルほどの距離でにらみ合っていました。機関銃掃射によって、目の前で戦友たちが次々と撃たれて死んでいきます。クリスマスには家族の元に帰れると考えていた兵士達は絶望していました。

すると突然、ドイツ軍の塹壕からロウソクの火を灯した無数のクリスマツリーが現れるのです。続いてクリスマスの讃美歌を歌う声が響いてくる。すると今度はスコットランド軍がバグパイプでもり立てる。銃声や大砲の音は消え、最前線がクリスマスの平和な雰囲気に包まれていきます。すると驚いたことに、一人、また一人と銃を置いて、塹壕から出ていくのです。そして先ほどまで殺し合っていた敵と向かい合い、互いに握手を交わし、隠し持っていたウイスキーやチョコレート、ジャム、タバコなどを分け合い、家族の写真を見せ合い、事実上の休戦状態となりました。捕虜が解放され、ある前線ではサッカーの試合も行われたそうです。

そして前線の真ん中でミサが執り行われます。十字架が建てられ、そこで祈りが捧げられます。クリスマスが過ぎれば、また殺し合わなければならないことを悲観しながら。ところが休戦が過ぎたはずの次の日、両軍は味方から砲撃があると、警告しあい、お互いを自分たちの塹壕にかくまいました。また空に向けて銃を撃ったり、わざと的を外したりして互いに打ち合うことを拒んだのです。敵も自分と同じ人間であり、愛する家族があり、誰も死にたい、誰かを殺したいとは思っていないということを知ったからです。

何がこのような平和を戦場においてさえ実現するでしょうか。映画の中の十字架は特に印象的でした。クリスマスと十字架。一方は誕生を、他方は死を表わします。一方は喜びを、他方では苦しみを表わしています。イエス・キリストの生涯に起こった全く対照的な二つの出来事が、この一つの場面によく表わされていました。十字架がなければ、クリスマスは本当の意味で私たちに喜びと平安をもたらさないからです。十字架は神様が私たちの全ての罪を赦し、受け入れて下さるという決定的なしるしです。また十字架は神様の限りない愛のしるしです。ですから私たちはこの十字架を見上げる時、もはや神様を恐れることなく生きることができるのです。この十字架に私たちを変える神の愛の力が働きます。つい先ほどまで殺し合っていた場所、愛とは全く無関係の場所に、愛が生まれたのです。平和と全くかけ離れた所に平和が生まれたのです。十字架は、私たちがもはや自分自身の罪のために苦しむ必要も、反対に誰かを苦しめる必要もないことを教えてくれるからです。人を愛することのできない私たちの心の内に、また今日も戦場で戦う人々の心の内に平和のしるし、十字架が立てられますように。

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