本当のわたし

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聖書の言葉

はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。

新約聖書 ヨハネによる福音書 3章3節

西堀元によるメッセージ

小学校にあがった頃、ウルトラマンや仮面ライダーに夢中でした。近くの駄菓子屋で、ウルトラマンや怪獣のカードを買って集めていました。ウルトラマンの怪獣カード全部を貼り付ける専用のノートのようなものがあって、頑張って最後まで集めました。お小遣いをかなり使いました。それなのに中学生のとき、卒業だと思って怪獣のノートを小さな子どもにあげてしまいました。残しておけば記念になったのにと思います。

さかのぼって幼稚園のころ、私にはヒーローがいました。「ずぼやマン」です。おそらく聞いたことがないはずです。それもそのはず、私が考えたヒーローだからです。私はどこででも「ずぼやマン」に変身。敵をやっつける遊びをしていたことをうっすらと覚えています。皆さんも、「ずぼやマン」ではないですが、子供のころに憧れていた何かはなかったでしょうか。こうなりたいなという自分がおそらくあったのではないでしょうか。でも大人になるにつれて、子供のころ持っていた素直な憧れのような気持ちはどこかに置き忘れてしまったように思います。

ある時、イエス・キリストのもとに、ニコデモという人がやって来ました。この人はイスラエルの議員で、さらに聖書を教える教師でもありました。そして彼は老人です。ニコデモは他の人たちから、尊敬を受けたと思われます。そして、きっと努力の人です。議員で教師ですから皆から一目置かれる人だったでしょう。それでも彼は心に何か足りないものを感じていました。人生も終わりに近づきます。他の人からすれば、何も不足はないように見えたと思います。それなのに彼はこのままでは駄目だと思いました。

ニコデモは何日も考えたことでしょう。ある日、イエス様のところへ行くことを決心しました。用意周到な彼は、恐らく何日か天気を観察していました。ついにその日が来ました。なんと彼は嵐の夜に出かけました。嵐の夜なら、他の誰にも見られることなくイエス様に会えるからです。立場上、他の人たちの噂になるようなことを避けたかったからです。

ニコデモはイエス様のもとに着くと、「これは先生、先生」と言うような挨拶をします。しかしイエス様はニコデモの挨拶には答えず、単刀直入にニコデモの問題の核心に迫ります。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と。ここで「神の国を見る」というのは「神の国を体験する」という意味で、「神の国に入る」と同じ意味です。イエス様はニコデモの満たされない思いが何によって満たされるかをご存知です。ニコデモはもう一度生まれることが必要なのです。

ニコデモはイエス様の答えを聞いて驚きます。老人がもう一度生まれることはできません。老人でなくても無理です。そこでイエス様は説明を加えます。「水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない」。私たちは身体の汚れは、お風呂できれいにすることができます。それなら私たちの心はどうしたらきれいにできるのでしょうか。きれいな音楽を聴いたり、山に登って頂上から町を見下ろすと心がすっきりしてきれいになったように思います。でもきれいになったはずの心もすぐに駄目になります。私たちの心には、どんなことをしても取り除くことができない汚れがあるのです。聖書はそれを罪と呼びます。何をしても取れない心の汚れが「水と霊」によって取り除くことができるとイエス様はおっしゃいます。「水と霊によって生まれる」とは聖霊によって罪が清められることです。

イエス様はニコデモに必要なのは「生まれる」ことだと言われます。私たちは誰も自分で生まれてやろうと思って、この地上に生まれてきた人は一人もいないはずです。当たり前のことですが、「生まれる」ことは完全に受身のことです。誰も自分の力で生まれるのではありません。同じように、イエス様がここで言われているのは「新たに生まれる」ことですが、「新たに生まれる」ことも完全に受身なのです。言い換えると、これは心の汚れが取れることでした。心の汚である罪は自分では取り除けない。「水と霊」、聖霊の神様が私たちをすみずみまできれいにしてくださるのです。このように人が救われるのは努力ではないということは、ずっと努力の人生であったはずのニコデモには解放の言葉に聞こえたのではないでしょうか。

聖書の始めに創世記という書物があります。神様は世界を素晴らしいものとして造ってくださいました。そして人間を創造の一番美しいもの、冠のような存在として造られました。しかし良いものとして造られた人間は神の命令に背いて堕落しました。神に背いた人間の心は造られた本来の姿からゆがめられ汚されてしまいました。私たちの生きている世界にため息が出るような悲しいことが起きるのは最初の人類が神に背いたためです。

しかし神様は罪によって損なわれた人間を捨てられることはありませんでした。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。神様が私たちを愛していてくださる。それはイエス様の命を私達にくださるほどなのです。

そして神様のあふれるほどの愛を受け取った者は、神様が願っている私になります。あるべき私、本当の私になるのです。ニコデモも皆さんも本当の私になることができます。自分のなりたかった者になることができるのです。本当の私とは何のことでしょう。やはり生まれることでした。もう一度生まれて、今度は神様の子供になるのです。その人は神の子供ですから希望をもっての自由にのびのびと生きることができます。

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