あなたがあなたである喜び

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聖書の言葉

イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。

新約聖書 ヨハネによる福音書 13章7節

吉田実によるメッセージ

先週私の義理の父のお話をさせていただきましたけれども、今日もその続きです。彼は高校生の頃に洗礼を受けてキリスト者となったのですけれども、その後肺結核になって片方の肺を失い、7年間入院生活を送ることになります。「神様を信じてキリスト者になったのに、どうしてこんなことになるのだ」と思い悩み、色んな人にその疑問をぶつけますが誰もきちんと答えてくれません。そんなある日、一人の牧師にその疑問をぶつけたのです。するとその牧師はヨハネによる福音書13:7の御言葉を通して、「今は意味が分からなくても、後に必ず霊的な意味があったことが分かるようになりますよ」と教えてくださいました。彼の人生はまさにその御言葉が成就して行った人生であったと、お話をいたしました。そんな義父は大学で英米文学を教える研究者だったのですけれども、晩年は認知症を発症しまして、色んなことを忘れて行きました。昔のことはよく覚えているのですが、最近のことはもうすぐに忘れました。やがて施設に入所しまして、妻と共に何度か訪問をしましたけれども、妻のことはよく覚えているのですが、私のことはもうすっかり忘れて、毎回「どちらさまですか」と尋ねられ、自己紹介するところからお話が始まりました。初めはそのことが少し寂しくも感じましたけれども、彼は自分がイエス・キリストを信じるキリスト者であることをしっかりと自覚していましたし、心に刻んだ御言葉をしっかりと覚えていました。そして子どもの頃のことや、高校生の頃に肺結核を患って7年間闘病生活をしたことなどもはっきりと覚えていました。そこで私は限られた面会時間ですけれども、彼の愛唱聖句であるヨハネによる福音書13章7節を読みまして、毎回短い説教をしました。その中で「お父様は高校生の時にイエス様を信じて洗礼をお受けになって、そのすぐ後に肺結核で片方の肺を失い、7年間入院生活を送られたのですね。その時はさぞお辛かったでしょう。神様を信じてキリスト者になったのに、どうしてこんなことになるのだと疑問に思って、その疑問をいろんな人にぶつけたけれども、なかなか納得いくような答えは返ってこなかったのですね。でもある日、巡回伝道に来られた牧師がヨハネによる福音書13:7から『わが爲すことを汝いまは知らず、後に悟るべし』と、「今はわからなくても、後でわかる」と教えてくださったのですね。まさにお父様の人生はその御言葉が成就して行った人生でしたね。」と、そういうお話をいたしました。そうしますと目を輝かせて、「はい、その通りです。全くその通りです。」うなずきながら、おそらく「どうしてこの牧師はこんなことまで知っているのだろう」と驚きながら、喜んで説教を聞いてくださいました。そしてしばらくしてまた訪問しますと、やはり私のことはすっかり忘れて、また「どちらさまですか」と言うところから始まりまして、自己紹介をして、またヨハネによる福音書13:7を読みまして、同じ話をしました。するとまるで初めて聞くかのように目を輝かせて「はい、その通りです、全くその通りです!」と、喜んで説教を聞いてくださったのです。そんなことを何度も繰り返しながら、いつの間にか語っているわたし自身が励まされて癒されていることに気が付きました。そして思いました。認知症になって、記憶を次第に失うということは確かに辛いことです。けれども認知機能を失ったからと言ってその人がその人でなくなるわけではありませんし、あたりまえですがその人の存在価値が失われるわけでもありません。ですから失ったことを数えて嘆くよりも、残されていることを数えて共に喜びながら、今のありのままのその方の存在を喜び、共にいる時間を喜ぶことが大切なのではないか。そしてその方がたとえ私のことを忘れてしまっても、それは重要なことではない。そんな風に思うようになりました。主イエスが弟子たちの足を洗われたように、主イエスを信じる者たちは主に倣って互いに足を洗い合うこと。つまり互いに主の愛をもって仕え合うということが求められています。そしてその基本は、主にあって相手の存在そのものを喜ぶこと。いろんな変化があっても、あなたがあなたであることを喜ぶことにあるのではないか。そう教えられました。

私たちは超高齢化の時代を生きていますので、もしかするとラジオをお聴きの皆様の中にも、認知症になられたご家族の介護をしているという方がおられるかもしれません。様々なご苦労がおありだと思いますが、どうぞご自宅に閉じこもらないで、思い切って外に出て、地域のサークル等を訪れてください。そして日曜日には是非、ご近所のキリスト教会を訪ねてみてください。その人が「何が出来るか」ではなく、その人の「存在そのもの」を喜んでくださる方々が、きっと喜んで出迎えてくださるに違いありません。

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