神と差し向かい

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聖書の言葉

「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」

新約聖書 ヨハネによる福音書 3章3節

宇野元によるメッセージ

ニコデモという人が、イエスを訪問します。イエスとお話しするために。

夜に。大切なことを大切に思うのにふさわしいときに。私たち人間が、神と向かいあうようみちびかれる時。問いかける時。

自分自身にかかわり、生きることに関わることが心にある――そのとき、私たちは、イエスの言葉に聞くよう招かれます。

「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」。

「新たに生まれる」。あるいは、上より生まれる。そう言い換えることができます。

――「人は、どのようにして神の国を、すなわち、神のご臨在を、神のみわざ、神の働きを認識できるのか?」そう尋ねた。この問いにイエスは答えてくださいます。そして、このことは私たちにはできない。それを示されます。

――「神の国を認識するには、新しく生まれることが必要である」。

イエスが語る言葉は、私たちの心にラディカルに響きます。困惑をあたえる。非現実的にひびきます。ニコデモは、イエスの言葉に驚いて、言葉の意味をたずねます。

「先生、あなたが言われることは、どういう意味なのでしょう?それは、私にはできないことです!」そう。たしかに!イエスは、それを知るよう語っておられます。

言うまでもない、私たち人間には不可能なことです。だれ一人、二回生まれることはできません。私たち、だれひとり、時間の針を戻すことはできませんから。もういちど、赤ちゃんになる。そしてもういちど、人生をはじめからはじめる。それはできません。しかし、まさに、できないことを私たちは賜る、与えられる。私たちは、新しく生まれ、新たに出発するものにされます。

アメリカの詩人、エミリー・ディキンソンの言葉を思い起こします。彼女が残した詩のなかに、「角度をつけて語る」という表現があります。イエスの言葉は、人の心に驚きを与えます。「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」。そして、新たに生まれる。これは、私たちの手におよばない。み手による。神のみわざである。イエスは教えておられます。――神ご自身によらなければ、神の働きを理解することはできない。私たち人間の理解をこえる。しかし、神が理解を与えてくださる。

イエスは「角度をつけて」語られます。意表をついた思いがけない言葉を用いて、偉大な真理を示されます。要点を丸暗記させる、そのような教え方とちがいます。聞く者が、みずから思い巡らし、考えるようにされます。ただちにわかるというより、むしろ時間をかけて、神が与えてくださる事実を理解するよう導かれます。

私たちがよく思い巡らすように、イエスはさらに言葉を加えられます。

――だれでも水と霊とによって生まれなければ、この神の事実にあずかることはない。

教会の洗礼式において、水による洗いがなされます。あるいは、文字通り、水のなかに身を沈め、もういちど起き上がります。そして新しく息を吸う。それをおぼえることができます。

神の霊の働きにおいて、このことが与えられます。

イエスと差し向かい。神と人の対話が記されています。

神と水いらずの関係。神が、私たちと差し向かいの相手をしてくださいます。

夜、私たちがひとりでおりますときに。もちろん昼も。また朝に。

問いかける心に応えてくれます。

けさ、心にとめます。

イエスの言葉は、私たちには驚きである。私たちの小さな見方をこえる。

その言葉を思いめぐらすよう、招かれている。小さな自分の考えに合わせるのでなく。

神様は、対話において、みちびかれます。問いと答えにおいて。

そして、自らに捕らえられる、今の状況に閉じ込められる、私たちを、ご自身の言葉と共に、ひろい所に置いてくれます。

行き詰まる私たちを、明るい出口に立たせてくれます。

私たちの考えでは不可能なことを、神が与えてくださいます。

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