神の愛

ラジオ放送 キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

新約聖書 ヨハネによる福音書 3章16節

吉田謙によるメッセージ

「アメージング・グレース」という有名な讃美歌があります。聖歌にも、また讃美歌第2編や讃美歌21にも、この讃美歌は載っています。しかし、いずれも原文の歌詞が忠実に訳されているとは言えません。本当はこういう歌です。「アメージング・グレイス。驚くべき恵みよ。何と甘く美しいことよ、この恵みは私のように挫折し滅びようとしている者まで救う。私はかつて失われた者、しかし今は見つけていただいている。かつては目が見えていなかった者、しかし今は見えている。」

この讃美歌は、かつて奴隷商人であったジョン・ニュートンという人によって書かれたものです。彼の母親は、とても立派な信仰をもっていたそうです。しかし、六歳の時に彼は、この母親と死別することになります。それ以来、彼は信仰から遠ざかってしまいました。神様と無縁の生活をしていたのです。いや、むしろ奴隷売買をするという神様の愛を踏みにじるような仕事をしていたのでした。けれども、ある日、彼は海から投げ出されるような嵐に出会い、その時に初めて神様に向かって叫んだのでした。「神様。あなたが本当におられるのなら、この私を助けて下さい!」と。母から受け継いだ信仰に、この時やっと目覚めた、と言うのです。全く虫のいい話ですね。今まで散々好き放題の生き方をし、神様と無縁の生活をしていながら、嵐に出会い、命の危険にさらされた時に、「神様、助けて下さい!」と叫んだ。こんな虫のいい話はありません。けれども、この讃美歌は、こんな自分が救われた、その驚き、その恵みを歌っているのです。やがてこのジョン・ニュートンという人は、悔い改めて、今までの自分の人生が間違っていたことを素直に認め、キリストのもとに立ち返って行きました。そして、やがて彼は牧師となり、その生涯を神様に全て捧げ尽くしたのです。なんと虫のいい話なのだろう、と思われるのかもしれません。しかし、これはジョン・ニュートンだけの歌ではありません。クリスチャンであるならば、皆が歌うべき歌なのです。私たちもかつては神様と無縁の生活をしていました。神様の愛を踏みにじり、滅びの道をひたすら歩んでいたのです。けれども、ある日、不思議な仕方で神様のもとへと呼び戻されました。滅びから救いへと、暗闇から光へと導かれたのです。これは本当に虫のいい話ではないかと思います。しかし、これが神様の愛であり、驚くべき神様の恵みなのです。

神様は、ご自分の独り子をこの世に送り、十字架につけてまでも、この世界を救いたい、と願われました。それほどまでに、この世を愛されたのです。この天における事実が、あの十字架のイエス・キリストを通して明らかにされました。あの十字架のイエス・キリストを見れば、神様がどれほどこの世界を愛しておられるか、どれほど私たちのことを愛しておられるかが、一目瞭然なのです。そして、そのことが分かってくれば、この世界の本当の姿や私たちの本当の姿が見えてくるのではないかと思います。

この世界には沢山の辛いことや悲しいことがあります。新聞やテレビのニュースを見ると、本当に目を覆いたくなるような報道が、毎日毎日繰り返されています。この世界は、本当に身勝手で、自己中心的で、醜く、絶望的ではないか、と思いたくなります。けれども聖書は、「神は、その独り子を十字架に送るほどに、世を愛された!」と語るのです。自分が住んでいるこの世界は、とんでもない世界であって、もう堕落しきっている。どうにもならない。神様にも見捨てられてしまった。諦めるしかない。ある人たちには、そのようにしてしか見えてこないのかも知れません。けれども、本当はそうではないのです。神様は、この世界を諦めておられません。今もこの世界を愛して愛して止まないのです。

あるいは、自分自身を見つめる時に、私たちは、しばしば自分が本当に弱く、ちっぽけな存在であることを思い知らされます。なすべき事が出来ず、してはならないことをしてしまう。本当に罪に汚れた人間です。自分の内側を正直に見つめるならば、自分がいかに汚れた人間であり、卑怯な人間であるかが見えてくるのです。本当に嫌になってしまう。けれども、イエス様を知るならば、この私についても、全く新しいことが分かってきます。この私という存在は、神様がご自分の独り子を十字架につけてまでも救いたいと思われるほどに、愛すべき存在であり、掛け替えのない高価で尊い存在なのです。本当に信じられないことですが、イエス・キリストの十字架によって、私たちの罪は全て赦され、私たちは神様に責められるところが何一つない存在とされたのでした。

こうして私たちは、イエス・キリストによって示された天の事実を知る時に、この世界についても、また自分自身についても、全く新しい目で見ることが出来るようになります。そしてそのことによって私たちは、力づけられ、なお諦めることなく希望をもって生きることが出来るようになるのです。

神様は、その独り子をお与えになったほどに、「世」を愛されました。神様に敵対する世であり、神様の愛を踏みにじる世です。しかし、この「世」を神様は決してお見捨てになりません。今も、なお愛しておられます。

そして、これは決して他人事ではありません。あなたも、この神様に愛されています。あるがままのあなたが愛されているのです。今日、是非、この神様の愛を素直に受けとめて、希望をもって新しく生き始めていただきたいと思います。

関連する番組