罪人を招く主

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聖書の言葉

ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」

新約聖書 ルカによる福音書 5章30~32節

吉田謙によるメッセージ

イエス様は、たまたま近くの収税所に座っていた徴税人であるレビに向かって「わたしに従いなさい」と招かれました。当時の徴税人は、暴利を貪っており、極悪人と見なされていました。このレビという人は、そういう徴税人であり、この時、彼は、収税所に座り、「今、将に罪を犯している」という罪の現場にいたのです。イエス様は、このレビに向かって、「私に従いなさい」と呼びかけて下さいました。

イエス様は、いつもこのような仕方で私たちを招いて下さいます。私たちの罪をはっきりとご覧になりながら、その私たちに向かって、「私に従いなさい」「私と一緒に生きるように!」と招いて下さるのです。イエス様は私たちの罪を知らずに、見込み違いで私たちを招かれたのではありません。「最初からあなたの罪は全部知っている。あなたの弱さや欠けも全部知っている。あなたは、そんな自分を責めているのかもしれない。でも大丈夫、あなたの罪は全部私が十字架の上で担うから、あなたは安心して私に従いなさい!」イエス様は、こう言って私たちを招いて下さるのです。本当に嬉しいことですね。

しかし、この時、ユダヤ教の指導者たちが、弟子たちに対して文句を言いました。「なぜ、あなたたちの先生は、こんなにいかがわしい人たちと一緒に食事をするのか」と。この非難はレビのような者の胸には、本当に深く突き刺さる言葉ではなかったかと思います。「あなたのような人間がいるというのは、教会は何と汚れた者たちの集まりなのか!」という非難です。私たちは、教会の一員として、しばしばこういう非難を恐れることがあります。自分がクリスチャンであることが分かると、人が躓いてしまうのではないか、教会に傷がつくのではないか、こういう心配をするのです。「あんな奴がクリスチャンなのか!」と言われることに、私たちは恐れを抱くのです。けれども、イエス様はそういう非難に対して、教会を守り、レビを守られました。31節。「イエスはお答えになった。『医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。』」

「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である!」このようにイエス様は言われました。そして、教会の中に病んでいる人々や様々な弱さや欠けを持っている人々がいることは、イエス様にとって決して不名誉なことではないのだ、と明言なさったのです。

医者の周りには、当然、病人が集まって来ます。そして腕のいい医者の周りほど、重病患者が沢山集まってくるものでしょう。もし私たちが病院の待合室に行った時に、重い病気の人が沢山いたとしたら、どう思うでしょうか。こんなに重病患者ばかりいる病院では危なっかしくて信頼できない、とは思いません。むしろ重い病人、難病と言われている人が沢山いる病院は、腕のいい医者がいることのしるしでしょう。

イエス様は魂を癒す医者です。教会は、魂が重く病んでいる人々が来てよいところなのです。むしろそういう人が来ていることが、イエス様の誉れになるのではないかと思います。イエス様のまわりには、ユダヤ教の指導者たちが投げ出す他は無かった罪人が大勢集まって来ました。教会には、癒された人々もずっと来続けるわけですから、病院とは少々性格が違います。けれども、教会は、本来、イエス様に救っていただく必要のある人々が来るところであり、罪人が安心して集うことが出来る場所なのです。まだ教会に行ったことのない方々は、「教会というところは、立派で、心清らかな人たちが集まるところで、自分のような人間は教会には相応しくない!」などと決して思わないでください。「イエス様のもとには、徴税人や罪人が沢山集まっていた。」これが聖書の主張なのですから。

「確かにあなたには醜さもあるし、弱さもある。暗い生活があり、否定的な考え方があり、冷たい心もある。私はそのことをちゃんと知っている。しかし、それは決してあなたの全てではない!あなたの最も深いところには、本当のあなたがいるではないか!神様に造られた素晴らしい可能性を秘めたあなたがいるではないか!!今は誰にも見えていないのかもしれない。けれども、掛け替えのない、素晴らしい可能性を秘めたあなたが、私には見える。早く、そのあなた自身に気づいて欲しい!そして、あなたはあなたらしく輝いて生きて欲しい!!」イエス・キリストは、自らの命を犠牲にしてまでも、私たちに近づき、こう語りかけて下さいます。このイエス・キリストの救いは、ごく一部の信仰のエリートたちだけに与えられるものではありません。レビのような社会からはみ出し、社会から見捨てられた者にも与えられる救いです。勿論、今、ラジオを聞いておられるあなたにも与えられる救いなのです。あなたも、この神様に愛されています。今日、是非、この神様の愛を素直に受けとめ、希望をもって新しく生き始めていただきたいと思います。

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