確かな支えはどこに?

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聖書の言葉

わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに

主よあなたはすべてを知っておられる。

前からも後ろからもわたしを囲み

御手をわたしの上に置いていてくださる。

旧約聖書 詩編 139編4~5節

金原義信によるメッセージ

生きていく上で、何があなたの心の支えになりますか。家族や友人の絆、優しい言葉や心遣い、仕事、大好きな趣味、いろいろあると思います。それらはどれも、私たちの生活を支えるうえで大切なものです。

けれども、それがいつも同じように、私たちを支えてくれるとは限りません。友人関係が悪くなることもあるでしょうし、家族同士で争うこともあるでしょう。仕事は、常に神経をすり減らすようなしんどさを伴います。特に今は経済が悪化し、生活の基盤そのものが危機にさらされている時代です。なんと、私たちの人生は、自分の力の及ばないことに左右されてしまうのでしょうか。さらに、私たちの心の中も、思い通りにいかないことが多くあります。もっと穏やかな心でいたいのに、怒りや憎しみにとらわれて、思うように人を愛せないこともあります。心の内も外も、うまくいかないことが絶えません。そして、いつかは世を去るときがきます。

このように考えると、「確かな支えはどこに?」と問わざるを得ません。あなたは、そのような支えを、お持ちでしょうか?

わたしは、それを聖書の中に見出しました。生きている時も、世を去る時も、その後も、神様が私たちを愛し、永遠に一緒にいて下さる、と聖書に記されています。あなたが何もいわなくても神様はあなたの事、あなたの思いをご存知です。そして「前からも後ろからもわたしを囲み、御手をわたしの上に置いていて下さる」のです。神様が私たちを囲み、守り導いて下さる。これこそ私たちにとって永遠に変わらない支えです。

聖書には、神様が愛する人々をどのように支え導いて下さったかという実例がいくつも記されています。その中から一つのことをご紹介したいと思います。それは、出エジプトの物語です。

昔イスラエルの人々はエジプトで奴隷として苦しい生活を強いられていました。神様はその苦しみ、うめき、叫び、嘆きを聞いて、彼らを顧み、御心に留められました。そしてモーセを指導者として立てて、エジプトから助け出して下さったのです。イスラエルの解放の求めになかなか応じなかったエジプトの王ファラオは、神様の不思議な力を見せ付けられ懲らしめられて、とうとうイスラエルの人々を解放しました。

エジプトを出発したイスラエルの人々は荒野の旅を始めますが、彼らの進路を導いたのは神様でした。出エジプト記13章21-22節にこうあります。「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らしたので、彼らは昼も夜も行進することが出来た。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」神様が、イスラエルの人々の荒野の旅路を雲の柱や火の柱でもって導いて下さったのです。

さらにこの後、考えを変えたエジプト王は軍勢を率いて追いかけてきました。イスラエルの人々は前を海にさえぎられ、後ろをエジプト軍に追いかけられて逃げ場を失います。そしてモーセに向かって、「私たちを連れ出したのは荒野で死なせるためか」と文句をいいました。しかし神様はその海の水を分けて彼らを助け出したのです。エジプト王も、イスラエルの人々もその心は変わりやすいのですが、しかし神様はその心を変えることはありませんでした。この後40年にわたってイスラエルの人々を守り導き、ついに約束の地へ入れて下さったのです。

丁度そのように私たちの人生も、神様が、まさに前からも後ろからも私を囲んで、離れることなく導いて下さいます。そして世を去った後には、丁度イスラエルの人々を約束の地カナンに導き入れたように、私たちを祝福に満ちた天の御国へと導き入れて下さるのです。この約束こそ私たちにとって確かな支えです。

確かだと思われたものが崩れるような世の中にあって、真実で確かな神様の愛を、一緒に味わいませんか。どうぞこれからも聖書を読み、そのメッセージに聞き続けて下さい。またどうぞお近くの教会へ足をお運び下さい。お待ちしております。

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