愛と信仰の連鎖

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聖書の言葉

兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。

新約聖書 フィレモンへの手紙 7節

唐見敏徳によるメッセージ

聖書はいろいろなスタイルの書物で構成されています。イスラエルの歴史を記述したもの、預言書と呼ばれるもの、文学的なもの、いろいろな形式の書物が収められています。そのうちのひとつが手紙です。とても興味深いことだと私は感じるのですが、聖書に収録されている書物の形式の中で最も多いのが手紙です。新約聖書でいえばそのほとんどが手紙で構成されています。今朝は、使徒パウロの手紙の中で最も短い手紙、フィレモンへの手紙からお話しします。

手紙のタイトルにあるフィレモンは、伝統的にコロサイの教会の有力な信徒だろうと考えられています。コロサイは当時の小アジア、現在のトルコの西側の内陸部にあった町です。手紙の中にエパフラス、アリスタルコ、ルカ、アルキポなどの名前が出てきます。皆、パウロとともに福音を宣べ伝えた初代教会の信仰者たちです。

これらの人々は、コロサイ書でも登場します。フィレモンは、彼らと交流があり、共に活動し、コロサイの教会を支えた人物だったのでしょう。

フィレモンの人となりについて、パウロは手紙の中で次のように記しています。

「わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。」(4・5節)

彼の信仰者としての在り方がどれほど素晴らしいものであったのか、よく伝わってきます。

さて、パウロはフィレモンに対してある願いがあってこの手紙を書いています。それはオネシモという人物に関することです。彼もまたコロサイ書に登場する人物で、おそらくパウロが洗礼を授けたクリスチャンでした。オネシモという名前は「役に立つ」という意味で、まさにパウロたちの福音宣教にとって、役に立つ人だったのでしょう。

パウロは、オネシモをフィレモンのもとに送ろうとしているのですが、ここに重大な問題がありました。実は、もともとフィレモンとオネシモは、主人と奴隷の関係だったのです。しかし、オネシモはフィレモンのもとから脱走してしまいました。その際に彼は主人の財産を盗んでいた可能性もあります。その後、オネシモは、パウロと知り合い、彼から洗礼を受け、クリスチャンになりました。

パウロはこの手紙を通して、主人のもとから逃亡した奴隷をもう一度主人のもとに送り返そうとしているわけです。これは、当時の時代背景を考慮すると、非常に危険なことでした。

現代では奴隷制そのものが許されることではありませんが、当時はそれがあたりまえのこととして社会制度に組み込まれていました。奴隷は主人の所有物であり、主人は奴隷に対して絶対的な権限を持っていたわけです。そして、奴隷が主人のもとから逃亡するということは重大な違反で、死刑になりうることでした。パウロはそのことを知りつつ、オネシモをフィレモンのもとに送り返そうとしているのです。

もちろんパウロは、オネシモがどう取り扱われてもいいと言っているわけではありません。パウロはフィレモンに対して、オネシモを許し、受け入れることを願っています。上の立場から、この命令に従え、それに服従しろといっているわけではなく、自発的に彼がオネシモを許し、受け入れることを願っています。奴隷制という枠組みがある中で、しかし、もはや主人と奴隷の関係ではなく、一人の人間として、主にある兄弟として、オネシモを迎え入れることを願っているのです。

そして、パウロは、フィレモンがこの願いを受け入れることを確信していたようです。それは、最初に触れた、主イエスにある信仰と愛のゆえです。

主イエス・キリストの十字架の死、そして復活を信じる信仰と愛は、人を赦しと和解へと導きます。パウロは、かつては主イエスを信じるクリスチャンを迫害していた人物でした。けれどもダマスコの途上で主イエスに出会い、回心してから、クリスチャンの仲間に受け入れられた経験を持っています。迫害されていた側からすれば、迫害していたものを赦し、和解することは簡単なことではありません。しかし、同じ主イエスにある信仰と愛によって、パウロはかつて迫害していた人々に仲間として受け入れてもらったのです。ですから、フィレモンの主イエスにある信仰と愛について知っていたパウロは、彼が必ずオネシモを赦し、受け入れることを信じて疑いません。

このパウロの短い手紙が教えてくれるのは、今から2000年前の奴隷制度が存在していたローマの時代だけに当てはまることではありません。主イエスにある信仰、そして愛は決してなくなることはないと聖書は語ります。

いつの時代にあっても、どのような社会にあっても、わたしたちに赦しあうこと、和解を求めることの大切さを語ります。そして、それぞれに与えられている人生の歩みの中で、わたしたちが赦しあえるように、和解のために努めることができるように、そのための力をも与えてくださるのです。

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