絵画と信仰

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聖書の言葉

「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行って下さい。」

新約聖書 ルカによる福音書 22章42節

吉田実によるメッセージ

先週から、しばらくお休みしておりました「絵画と信仰」シリーズのお話を再開させていただいております。先週は17世紀のスペインで活躍いたしましたリアリズムの画家、ベラスケスの作品をご紹介いたしましたけれども、本日はこのベラスケスを心から尊敬した画家、フランシスコ・ゴヤについてお話させていただきたいと思います。ゴヤは18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍した、やはりスペインの画家なのですけれども、彼はベラスケスとはまた違ったタイプのリアリズムを追及した画家でした。ベラスケスは宮廷に集う様々な人々の姿を分け隔てなく、共に神様に造られた尊厳ある一人の人格として描きました。一方ゴヤは、人間の暗闇の部分、すなわち罪人としての人間の現実を、鋭い眼差しで見つめ描いた画家でありました。ゴヤは若くして宮廷画家となったベラスケスとは違い、40歳になってようやく国王カルロス3世付きの宮廷画家となります。そして初めは、ロココ調の明るい肖像画などを描いていました。けれども40代の半ばを過ぎた頃、彼は病のために聴力を失うのです。そしてそのことを通してゴヤは、人間の内面世界をより深く敏感に感じ取るようになり、表面的な見せ掛けを剥ぎ取った、罪人としての人間の現実を、厳しい目で見つめて描くようになって行ったのです。ベラスケスの「ラス・メニーナス」を参考にして描きました王家の集団肖像画である「カルロス4世の家族」では、一見豪華な王家の人々の姿を描いているように見えながら、実はその欺瞞に満ちた人間関係を密かに風刺いたしました。中央に描かれた王妃マリア・ルイーサは、愛人のマヌエール・ゴドイという男を重要なポストに付かせ、やがては宰相に就任させて、彼を介して国政をつかさどっていたのです。そんな王妃の狡猾で意地悪そうな笑顔と、お世辞にも優秀そうには見えない国王の表情、その両者の間に一番小さな子供を立たせることで生じた二人の間の暗い溝などを通して、ゴヤはこの王家の人々の中で起こっている醜い現実を密かに描き出したのです。またゴヤは腐敗した教会の聖職者や、彼らによって密かになされている様々な不正、迷信的な異端審問、貴族と称して働かない人々の存在などにも怒りを感じ、それらを「カプリーチョス」という版画集にまとめました。また国境を越えて進行してきたフランス軍の兵士によって銃殺された人々の姿を描き、そこから始まったフランス軍との戦いの中で起こった惨劇を、「戦争の惨禍」という版画集にまとめました。それまでの戦争を描いた絵は、勝者を称えその偉業を後世に伝えるという目的のために描かれました。しかしゴヤの作品はフランス側にもスペイン側にも偏っておらず、ただ戦争という状況の中で、人間がいかに残酷な野獣になるかということを描いています。これはかつてないことでした。そしてやがてゴヤは、1件の家を購入し、そこに引きこもって、その家の壁中に、いわゆる「黒い絵」と呼ばれる、絶望的な人間の暗闇の姿を、様々な仕方で描いたのです。そんな、人間に絶望したかにも思えるゴヤが、その晩年に「オリーブ山のキリスト」という絵を描きました。それはサン・アントニオ修道会から依頼されて描いた修道会の創始者の肖像画と共に、ゴヤが修道会にプレゼントしたものでした。この修道会は貧しい子供達を集めて大変良い教育をしておりまして、ゴヤも子供の頃この修道会が主催する学校で学んだのです。そんな感謝の気持ちをこめて、ゴヤはこの「オリーブ山のキリスト」をプレゼントしたのです。暗闇の中に大きく手を広げて叫び祈るキリストの姿は、彼がこれから担おうとしている人間の罪の責任の大きさ、その絶望的な深さを物語っています。神のひとり子が「この杯を私から取り除けて下さい!」と祈り求めるほどに、それは想像を絶するほどの厳しく辛い勤めでありました。人間の罪の現実を厳しく見つめ続けたゴヤだからこそ、その辛さ厳しさをリアルに感じ取っていたのではないでしょうか。そしてそんな十字架の道を、父なる神様のみ心に従って歩み通してくださったイエス・キリスト以外に罪人の救いはないということを、ゴヤ自身が深く感じていたのではないか。そして特に子供達に対して、この罪にまみれた現実の中で、そんな人間のために、君のために、ご自身の命を捧げてくださったイエス・キリストをいつも見上げていてほしい。そんな願いをこめて、ゴヤはこの絵を贈ったのではないかと、私は思うのです。

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