夢を解くヨセフ

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聖書の言葉

「我々は夢を見たのだが、それを解き明かしてくれる人がいない」と二人は答えた。ヨセフは、「解き明かしは神がなさることではありませんか。どうかわたしに話してみてください」と言った。

旧約聖書 創世記 40章8節

吉田謙によるメッセージ

今、お読みした聖書の箇所に登場するヨセフという人は、神様のご計画によって大変な苦しみを味わった人でした。父親から特別に愛されていた彼は、兄たちの嫉妬と恨みをかい、ついに兄たちに騙され、深い穴の中に閉じこめられてしまいました。たまたま通りかかった奴隷商人に見つけられたものの、彼はとうとう奴隷としてエジプトに売り飛ばされてしまったのです。さらに奴隷に売られた家においても、その家の人から誤解を受け、ついには牢獄に投げ込まれてしまいます。しかし、そんな中でもヨセフは、決して腐らず、現実をしっかりと受けとめて、前向きに生きていました。やがてそういう彼の様子を見ていた監守長に信頼されるようになり、ヨセフは牢獄に入れられた二人の高官たちのお世話をすることになったのです。この二人の高官たちが、ある日、不思議な夢を見ました。そして、その夢の意味が分からず、ふさぎこんでいた時に、ヨセフはこう言ったのです。「解き明かしは神がなさることではありませんか。」つまり、「人生と世界を解き明かすことは人間には出来ません。それは神様がなさることなのです!」と、この時、ヨセフは、自らの信仰を大胆に告白したのでした。その上で、その夢の意味を解き明かし、給仕役の長には、「あなたは、三日目には元の職務に復帰するでしょう」と伝えたのです。そして、その後でこう付け加えました。「ついては、あなたがそのように幸せになられたときには、どうかわたしのことを思い出してください。」と。そして、三日後にヨセフの解き明かし通りの結果になったのでした。

ヨセフは給仕役の執り成しに期待し、待ち続けました。しかし、それは、あえなく裏切られてしまったのです。ヨセフは、さらに二年もの月日を牢獄の中で過ごすことになります。おそらくヨセフは、その間、一生懸命祈ったことでしょう。「せっかくチャンスが到来したと思ったのに、何故ですか?!こんなことなら、最初から思わせぶりなことはなさらないで下さい!」と神様に食ってかかったのかもしれません。しかし、それでもヨセフは、最終的には、自分の人生を投げ出すことがなかったのです。何故でしょうか。それは、神様との祈りの格闘の中で、「自分の人生は神様の御手の中にあり、神様が最善のことをして下さる。やがて神様が全てを解き明かして下さるに違いない!」という信仰へと導かれたからではないかと思います。

マティ・ステパネク君という11歳の少年が書いた『ハートソング』という詩集があります。CNN、ニューヨーク・タイムズなど、全米のあらゆるメディアが絶賛し、シリーズで200万部を突破する大ベストセラーになりました。マティ君は、生まれながら筋ジストロフィーの障害を抱え、3歳の時から詩を書き始め、13歳で天に召されました。マティ君の詩には、まるで友人の一人であるかのように、よく神様が登場します。今日は、彼が6歳の時に書いた「祈りのテスト パートⅡ」という詩を紹介したいと思います。

「神様、ママに聞きました。マージーのお腹のなかにいた赤ちゃんが、昨日の夜、亡くなったと。ぼくは驚いて、怒りを感じました。神様、ぼくは祈りました。毎晩、祈りました。毎日、祈りました。みんなで祈りました。かわいい赤ちゃんが生きられるようにと。亡くなったとママから聞いて、ぼくは言いました。『お祈りは通じなかった。神様は耳をかたむけてくれなかった。赤ちゃんに奇跡をおこせなかった』と。ママは答えました。神様は、いつも私たちのお祈りに、耳をかたむけているけれど、望み通りにならないこともある。そういう時もあるの。それに、祈りと望みはちがう。その赤ちゃんは、小さな天使になって、天国に導かれたのなら、それも奇跡なの、と。毎日、沢山の奇跡が起きているんだね。望みや願いと違うから、ぼくたちは気づかないけれど。神様は、いつもぼくたちに奇跡を届けてくれる。すべての祈りに、耳をかたむけてくれる。そのことに感謝します。赤ちゃんのことは、とても悲しいけれど、神様に怒ったりはしません。」こういう詩です。

このマティ君の詩は、ヨセフ物語を理解する上で、とても大きな助けになるのではないかと私は思います。牢獄の中でヨセフは、どれほど神様の前で、多くの涙を流し、祈ったことでしょう。特に、最後の2年間は、涙の日々だったと思います。けれども、それにも関わらず、ヨセフは挫けなかった。このマティ君のように、「望みや願いと違うから、ぼくたちは気づかないけれど。神様はいつもぼくたちに奇跡を届けてくれる。すべての祈りに耳を傾けてくれる。そのことに感謝します。今はまだ、そのことの意味を理解できないけれど、きっと神様が解き明かしてくださるに違いない!」この信仰がヨセフを支え続けたのだと思います。やがてこの給仕役はヨセフを思い出し、ヨセフはついに王様の前に立つことになります。そればかりか、このことが一つのきっかけとなり、彼は総理大臣に抜擢され、本来、激しい飢饉によって滅んでいたであろうエジプトとユダヤ民族を救うことになったのです。

私たちも、与えられそうで、与えられない。「神様、どうしてですか?」と叫びたくなるようなことをしばしば経験します。しかし神様は私たちの必要を全てご存じです。何よりも、私たちの救いのために、御子を十字架に送って下さいました。それほどまでに私たちのことを愛し抜いて下さった神様が、みすみす私たちのことを捨て置くはずがありません。私たちが今受けている不当な苦しみを、より大きな祝福のために用い、必ず万事を益として下さいます。今は、全く見通しがつかず、その意味がよく分からないのかもしれません。しかし私たちも、ヨセフのように、またあのマティ君のように、祈りつつ、希望をもって神様の時を静かに待ちたいと思います。

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