まことの真理

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聖書の言葉

「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」

新約聖書 ヨハネによる福音書 8章32節

金昭貞によるメッセージ

皆様は「Memento Mori」という言葉をご存じでしょうか?「メメント・モリ」はラテン語で「死を覚える」という意味です。「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句であります。古代ローマでは、戦争で勝利を収めた将軍のために、国民の歓迎の中でパレードを行いました。その時、将軍の後ろに意図的に奴隷を立たせて大声で「Memento Mori」を叫ぶようにしたわけです。「Memento Mori」「死を覚えなさい!」。すなわち、「戦争で勝利したと言っても自惚れるな!今日は勝利した将軍であるが、お前もいつか死ぬ。だから謙虚になりなさい。」という意味でできた風習であるそうです。古代のローマ人は、高ぶらず謙遜になるために「Memento Mori」、死を覚えたわけです。

そうですね。死を覚えることである程度生き方がよくなると思います。確かに、人生がより肯定的に変わるきっかけになると思います。ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』に出てくるスクルージの物語は、このことをよく描いた作品です。クリスマスの前夜に、けちん坊の老人スクルージの前に、過去と現在と未来の幽霊が現れます。そしてスクルージは、未来の幽霊によって、自分が将来どのように死ぬのかを見ることになりましたが、それは寂しくてひどい死に方でした。その経験の後、スクルージの生き方は180度変わります。未来での自身のひどい死の様子を見た後、衝撃を受けたスクルージは、人々を助け始め、自分の財産を分け与えるなど、親切な人になりました。良い死に方を迎えるために、スクルージの人生が、肯定的に変わったわけです。このように死を考えるということは、確かに、人生がより肯定的に変わるきっかけになると思います。

ところで、「Memento Mori」(死を覚える)ことだけで、私たちの人生がすべて完全に、肯定的に変わるのでしょうか? そうではないと思います。実は、私は小学校5年生の時に初めて死について真剣に考えるようになりました。しかし、死を考えることでもっと混乱してしまいました。というのも仏教を信じる仏教徒は生まれ変わり、クリスチャンは天国に行く、それなら何も信じていない人は、お墓で眠るのか?死んだらどうなるのか? と、死を考えれば考えるほど、私の人生の生き方が良くなるどころか、むしろもっと混乱してしまいました。いったい、何が、まことの真理でしょうか。

そこで、主イエスは「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と言われました。主イエスは「私たちが真理を知るようになると、私たちは全てから自由になる」と語られます。そうです。私たちの人生を縛りつけている死から自由になる唯一の道は、真理を知ることです。「mementomori」(死を覚える)だけでは、死から自由になることはできません。逆に死を知らないふりをしても、死の恐怖からは解放されません。あるいは、物質的なものや、善い行いが、私たちを死から救ってくれるわけでもありません。私たちは真理を知ることによってのみ死から自由になるのです。

では、私たちはどのように真理を知ることができるのでしょうか。それは、まことの真理である主イエスを知ることによってできます。「わたしは道であり、真理であり、命である」と語られた、主イエスを知ることによって、私たちは真理を知るようになります。ところが、それは単に、主イエスに対する「知的な知識の蓄積」だけを語るのではありません。もちろん、知識を蓄積することは大事なことですが、真理である主イエスを知るということは、究極的に主イエスとの関係に入ることです。つまり、真理である主イエス・キリストを知り、経験し、愛することです。主イエス・キリストの中に入り、関係を結ぶこと、それが、真理を知ることであります。私たちが真理である主イエスを知るとき、主イエスは私たちを自由にしてくださるのです。

私のように死の恐怖から、あるいはいろんな疑問から自由になりたいですか。どうぞ、勇気を出して、近くの教会に足を運んでみてください。真理であられる主イエスが必ずあなたを自由にしてくださいます。

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