自分を愛することの大切さ

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聖書の言葉

「第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」

新約聖書 マタイによる福音書 22章39節

吉田実によるメッセージ

突然ですが、皆様は「マウントをとる」という言葉をご存じでしょうか。最近特にネット上でよく見かける言葉だなと思いまして、その意味を調べてみたのですけれども、相手よりも上のポジションをとって優位性を自慢したり、威圧的な態度をとったりすることを「マウントをとる」と言うそうです。もともとは格闘技からきた言葉で、仰向けの相手に馬乗りになった状態を「マウントポジション」と言いますが、そのように、精神的に相手よりも上に立って威圧しようとすることを「マウントをとる」と言うのだそうです。そしてこのマウントをとろうとする人の特徴は、自分の正しさを示したい、人より優れていることを示したいという「自己愛的な傾向が強い人が多い」とのことです。逆に言えば、本当は自分に自信がない人、人からの評価をいつも気にしている人、劣等感を覚えがちな人が、何とかそんな自分を持ち上げるために「マウント」をとろうとするのかもしれません。そしてそういう心理は本当の意味での「自己愛」ではなくて、むしろ「自己嫌悪」の裏返しではないかと思うのです。正しく自分自身を愛することが出来ないので、そんな自分自身を嫌悪したり、反対に間違った自己愛に陥ったりするのではないでしょうか。

本当の意味で「自分を愛する」ということは、とても大切なことです。初めにお読みいたしましたように、主イエスは律法の専門家から「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」と問われた時、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という教えと共に「隣人を自分のように愛しなさい」ということを挙げられました。つまり、本当の意味で「自分を愛する」ということは「隣人を愛する」ということの土台なのです。自分を愛することが出来ない人、自分を嫌悪している人は、隣人を愛することなどできないのです。では、エゴイズムではない、正しい仕方で自分を愛するためには、どのようにすればよいのでしょうか。いろんな弱さや欠けのある私たちが、それでも自分自身の存在を心から受け入れて、愛することが出来る道筋はどこにあるのでしょうか。

ドイツの神学者ユルゲン・モルトマンという人は、自身の戦争体験の中でこのことを証ししてくれています。1945年捕虜収容所の不潔なバラックの中で彼は病気になり、自由も健康も希望も失い、もう生きていたくないと思ったそうです。けれどもそんな絶望的な状況にあった彼に、大変不思議なことが起こりました。何人かの友人が、そんな彼に語り掛けてくれたのです。「あなたを愛している方がおられる。あなたを信じている方がおられる。『あなたは限りなくかけがえのない人だ』と言って、あなたを待っている方がおられる。さあ、立ち上がって、その方のほうに向かって行こう!」このように友人たちが語りかけてくれるその言葉を聞いて、その方が私を愛しておられ、私を決して捨てないということを感じた瞬間、モルトマンはふたたび「自分自身を愛する」ということを始めることが出来ました。そして死の悲しみに打ち勝ち、生き延びることが出来たのだそうです。モルトマンはその時のことを振り返りながらこう語ります。「そのときにわたしが学んだのは何だったのでしょうか。わたしがそのときわかったのは、神がわたしたちを愛してくださる。それゆえにわたしたちは自分自身を愛さなければならないということでした。そしてこのことはすべての人に当てはまります。神は私たちすべてをあるがままに愛してくださいます。そのとき、わたしたちもまた神が愛されたものを愛することが出来るのです。すなわち、自分自身を愛することが出来るのです」。モルトマンはこのように証ししてくれています。

世の中ではとかく他人との比較競争の中で、より優れた者、力のある者、強い者が優秀で価値ある存在とみなされます。そしてそのような価値観の中で自分の存在価値を見出して、自分を愛するようになるためには、常に競争に打ち勝って、誰かを蹴落とし、上り詰める必要があります。けれどもそういう頂点に立てる人はごくわずかですし、仮にその頂点に立ったとしても、そこで得ることが出来る満足感は本当の喜びではなく、いつかは失われるはかないエゴイズムにすぎません。そんなこの世の競争の原理から私たちを解放してくれる、真実に自分を愛し、そして隣人をも愛することが出来る道は、私たちを救うために独り子の命を捧げてくださった、イエス・キリストの父なる神の愛を知ることから開かれて行きます。どんなに欠けだらけで弱い私であっても、このありのままの私を神様が愛してくださっている。このことを知るときに、私も神様を愛し、ありのままの自分自身を愛し、隣人をも愛する道が開かれて行きます。「マウントをとる」必要などない、逆に悲しんでいる人のところまで降りて行く。そういう自由な生き方がそこに始まるのです。

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