約束の途中

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聖書の言葉

神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。

旧約聖書 創世記 50章25節

大西良嗣によるメッセージ

今読みました言葉は、聖書に出て来るヨセフという人物の言葉です。若い時にエジプトに売られ、そこで出世をして、父や兄弟たちの家族をエジプトに呼び寄せました。彼らはその後、何世代にもわたってエジプトに住み続けます。ヨセフは、自分の遺骨を生まれ故郷に持って行ってほしいと願いました。ところが、それが実現したのは何世代もあとになってからでした。

香港で民主化運動にかかわったため、台湾に避難せざるを得なくなった牧師がいます。彼が、このヨセフのことに触れながら、自分の境遇に重ね合わせます。台湾に逃れたために、香港に帰りたくても帰ることができなくなりました。「民主化運動にかかわったために、香港で罪に問われている人々の名誉と正義が回復し、安心して香港に帰る」という願いがあります。しかし、自分が生きている間にそれが実現することはないかもしれません。ヨセフの願いが実現するのが、何代も後になってからであったのと同じように。それでも、神は、のちの世代の人々を通して、ご自身のご計画を実現してくださるに違いない。香港の希望は、神の御計画・神の御意志の中にだけあると語ります。

聖書が教える神様は、歴史を支配されるお方です。人間に見えていることは、大きな歴史の流れの中で、ほんの短い期間だけです。その先のことは、歴史を支配している神様に、信頼して託すのです。

先週もお聞きくださった方は、石川ヨナさんの「約束」という曲を聴いてくださったと思います。日曜日の朝からロックが流れて、驚かれた方もいらっしゃったかもしれません。この「約束」という曲の中で、「今は約束の途中なんだ」という歌詞があります。最高の「約束」が用意されているのだけれど、まだ今は、それが実現していく「途中なんだ」という言葉です。

私たちが生きている現実というのは、なかなか難しいものがあって、順調には行きません。香港の人たちに起こったような事態が、私たちの身に起こる可能性だって否定できません。香港ほど大きな社会的問題でなくても、人はそれぞれ、悩みを抱えているものです。

聖書は、結末を約束しています。イエス・キリストというお方(石川ヨナさんの歌では、英語でジーザスと呼ばれているお方)、このお方が、最高の結末を用意してくださっています。ですから、私たちは、このお方を信じて、信頼して、このお方に従って生きて行きます。

けれども、イエス・キリストを信じたら、突然、何の問題もなくなるということではありません。香港にもたくさんのクリスチャンがいて、苦労を重ねています。日本のクリスチャンも、苦労なく生きているわけではありません。今はまだ約束の途中なのです。

「途中」であるということは、続きがあるということです。これで終わりではなく、物語が続くのです。どんな冒険が続くのか、まだまだ分かりません。けれども、結末は決まっています。イエス・キリストが最高の結末を用意してくださっています。ですから、私たちは、希望を失わずに歩み続けることができるのです。

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