10人の皮膚病の人をいやす

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聖書の言葉

それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

新約聖書 ルカによる福音書 17章19節

光後輝久によるメッセージ

今日はイエスが重い皮膚病を患っている10人の人を癒すお話をいたします。

イエスとその一行はエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの近くの、ある村へ入られました。そこで、重い皮膚病を患っている10人の人たちと出会いました。イエスの時代に重い皮膚病にかかった人たちはどのように扱われていたのでしょうか。当時、この重い皮膚病とみなされた人たちは社会的な交わりから閉ざされていました。会堂や神殿の礼拝にも参加できませんでした。神を最も必要としているときに、神のいらっしゃる神殿から、そして会堂からはじき出されていたのです。人は苦しい時こそ、神に祈りたい、神に訴えたい、癒しを求めたいのです。神を必要としているときに、神殿から、会堂から、そして共同体から疎外されていたのです。

そして、この10人は、ユダヤ人とサマリア人が一緒に住んでいる集団でした。これは、当時の社会ではありえないことでした。なぜかと言いますと、ユダヤ人はサマリア人の血が不純であるとして彼らを軽蔑し、交わりを持とうとしませんでした。ユダヤ人から見てサマリア人は差別の対象だったと言えます。しかし、ここでは9人のユダヤ人と1人のサマリア人が病気のため、共同体から離れて一緒に暮らしていました。重い皮膚病との戦いが、当時の絶対的と言えるユダヤ人とサマリア人との分断を阻止していたのでしょう。重い皮膚病との戦いにおいて彼らはある意味戦友だったと言えるかもしれません。彼らは「わたしたちを憐れんでください」と一緒に大声で叫んでいます。そこには何の差別も区別もありませんでした。

イエスは彼らに「祭司たちのところへ行って、体を見せなさい」と言われました。ということは、イエスはこの病人たちに、病気はすぐに治してあげるから、祭司に体を見せて清めの儀式をしてもらいなさいとおっしゃったのです。祭司から清くなったという証明を受けると、元の共同体に復帰することができます。彼らの社会復帰のためには、祭司による清めの儀式は必要な手続きでした。

重い皮膚病を患っていた10人の人たちがイエスによって癒されました。その10人のうちでイエスのところに帰ってきたのは、サマリア人、1人だけでした。10人の重い皮膚病を患っている人たちは最初イエスに出会ったとき「イエス様、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と、皆で心からイエスに憐れみを求めて叫んでいました。そして、祭司のところへ行く途中に病が癒されたことに気づき、とても喜んだと思います。9人のユダヤ人は、早く祭司のところへ行って清めの儀式をしてもらい、共同体に早く復帰したいという思いにとらわれてしまったのです。

イエスに癒されて感謝したとは思います。ですが、祭司から「清くなった」と判断され、清めの儀式を行ってもらい、共同体に復帰できて、良かった、良かったと、それで終わってしまったのでしょう。

でも、一人のサマリア人はそうするわけにいきませんでした。彼はサマリア人です。重い皮膚病は癒されましたが、異教の外国人がユダヤ教の祭司のところに行くことはできません。皆と別れてイエスのところに戻る途中で大事なことに気が付いたのです。重い皮膚病が癒されたのは神の働きです。そしてそれを行ったイエスが救い主であることに気づいたのです。サマリア人はイエスの働きを通して救い主と出会うことができました。彼は揺らぐことのない救いをイエスから与えられたのです。

9人のユダヤ人は、重い皮膚病が癒されるという神の恵みを受けました。ただ、それで終わってしまいました。救いの恵みを受けることが、できなかったのです。一方、1人のサマリア人は病が癒されるという恵みと合わせて救いを得ることができました。それで、彼は大声で神を賛美しながら戻って来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝したのです。そして、イエスは言われました。「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

イエスのおっしゃった「信仰」とは人間の働きではありません。イエスがおっしゃったのは、「あなたの中に働く神の働きがあなたを救った。」ということなのです。ただ、彼はキリストの憐れみに、依り頼んだのです。そして、そこに神が働かれた。それに答えられた神の救いの働きに、このサマリア人は目を開かれたのです。

人生において、わたしたちの救い主イエス・キリストに出会うこと。これがわたしたちにとって、まことの救いなのです。イエス・キリストに出会い、救われた恵みに感謝しています。

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