神に聞き続けましょう

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聖書の言葉

男たちは彼らの食糧を受け取ったが、主の指示を求めなかった。

旧約聖書 ヨシュア記 9章14節

李哲敏によるメッセージ

子育てをすると分かることがあります。子どもは、「魔の2歳」と呼ばれるイヤイヤ期が終わると、ものや事柄、事象など、あらゆるものについて、「なんで?」「どうして?」と質問を繰り返す「なぜなぜ期」が訪れるということです。この時、親は子どもが同じ質問を数十回しても答えます。なぜなら、自分が知らないことをママとパパは全部知っている、答えてくれるという親への絶対的な信頼をもって寄って来る子どもが愛らしいからです。

誰かに質問をするということは、自分が知らないことを認めることから始まります。そして、自分が知らないことを相手は知っているのだということを信じたうえで質問をします。自分が知っていることについてほかの人に聞く必要はありません。また、相手も知らないようであればそれも質問する必要はありません。自分のものや事柄、事象などについて分からないことを認めること。それが学びと知的成長の出発点だと思います。愛と信頼の土台の上で、子どもは絶えない質問を通して成長し、親は子どもの質問を通して育てます。

聖書は、神さまと私たち人間の関係を親子関係に例えます。聖書の神さまは人間のお祈り、願いを聞き、それにこたえてくださいます。真実な信仰を持って謙遜に神の教え、御導きを求める者に、神さまは必ず人間の知識、経験、力を超えたお答えをくださいます。

今日の聖書箇所は、偉大な指導者モーセの後継者であるヨシュアの失敗した話です。モーセを用いてエジプトからイスラエルを救い出した神さまは、モーセの死後、彼の後継者としてヨシュアをたて、彼に「わたしはいつもあなたと共にいる」という、いわゆるインマヌエル約束と共にカナン征服を命じられました。

神に信頼し、神の教えに従順に従うと、ヨシュアをはじめ全イスラエルは、神さまによる素晴らしい勝利を得ました。イスラエルが連勝したニュースはカナン全土に広がったのでカナンに住んでいた部族たちはイスラエルを恐れていました。その中にギブオン部族がありました。彼らはイスラエルとの全面戦を恐れて、賢く立ちまわって、うそをついてイスラエルと平和の協定を結ぼうとしました。

申命記7章2節で神さまは「カナンの部族と協定を結んではならない、彼らを憐れんではならない」と言いました。しかし、ヨシュアとイスラエルのリーダーたちはギブオンの人たちの見た目、話を聞いて憐れに思い、彼らと協定を結んでしまいます。これがヨシュアの失敗です。

「男たちは彼らの食料を受け取ったが、主の指示を求めなかった。ヨシュアは彼らと和を講じ、命を保証する協定を結び、共同体の指導者たちもその誓いに加わった。」(ヨシュア記9章14、15節)

ヨシュアの失敗は、表面的には神さまが禁じられたカナンの部族との協定を結んだことですが、根本的な失敗は、主の指示を求めなかった、神に聞かなかったことです。

一般的に誰かへの質問をする理由は、自分が知らないことを知っている相手の答えを通して、物事を把握し、決める時使うためです。ですので、質問をするとき、答えを期待するのは当然のことでしょう。

ところが、神さまへの質問は私たちが持っている質問に関する概念と違います。私たちは神さまに「神さま、どうすればいいですか」と、ものごとの選択の答えを求める祈りをすることがあります。このようなお祈りに、神さまは超自然的なかたちで答えてくださることもありますが、大事なのは、神さまに質問をすること自体にあります。

「神さま、どうすればいいですか」には、「あなたの御心が知りたいです。あなたの教えに従います」という神さまへの従順な信仰が根底にあります。神さまは、私たちが「あなたの御心が知りたいです」と聞いたからといって、強制的に私たちを引っ張っては行かれません。神さまはものごとを決める決定権を、自由意志という形で私たちに与えてくださいました。けれども、私たちは神さまに絶えず聞くべきです。なぜなら、神さまに聞くこの行為は、神さまこそ我が王、我が主であるとの神への信仰、信頼の証になるからです。

神さまが何より喜ばれるのは私たちがご自身への信仰を表すことです。神さまからのお答えがあれば嬉しいですが、はっきりしたお答えがなくても感謝ができるのは、神さまがご自身を信頼し、聞き従う羊たちを安全で良き緑の牧場に導く羊飼いのような、私たちの良き牧者だからです。

大事なのは、何でも、いつも神に聞き続けることです。

その人を神は喜ばれ、いこいのみぎわへ導いてくださいます。

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