空に虹を見るとき

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聖書の言葉

更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」

旧約聖書 創世記 9章12,13節

望月信によるメッセージ

梅雨の雨が降る中ですが、ラジオをお聞きくださっている皆さま、いかがお過ごしでしょうか。雨が降り続くのはうっとうしいものですが、わたしはこの時期が決して嫌いではありません。雨の合間に、時おり虹を見ることができるからです。雨が降り止み、太陽の日が差し込んで、ほんのつかの間ですが、美しい虹を見ることがあります。子どもの頃、虹をもっと近くで見たい、虹の下はどうなっているのだろうかと、虹を追いかけたことがあります。追いかけていくと、虹は逃げていき、いつの間にか見えなくなりました。

聖書の中にも虹が登場します。旧約の創世記、ノアの洪水物語の締めくくりの箇所です。人の罪が全地に満ちて、主なる神は、洪水によってすべて肉なる者を滅ぼすことにされました。神の裁きとして洪水がもたらされたのです。全地が水に覆われ、けれども、主なる神の憐れみにより、ノアとその家族は舟に逃れて、やがて洪水後の大地に立つ者とされました。そのとき、主なる神はノアと契約を結び、「わたしは雲の中にわたしの虹を置く」とおっしゃって、虹がしるしとされました。

虹のことを英語でレインボウと言います。雨・レインと弓・ボウから成り立つ言葉で、わたしは以前、雨上がりに現れる弓のような光の帯ということで、レインボウなのかなと思っていました。けれども、ただ雨上がりに現れる弓ということではないそうです。弓は矢をつがえて撃つものですが、弓に雨が矢としてつがえられて、天から大地へと雨が撃たれるというイメージなのだそうです。まさにノアの洪水は、神が雨という矢をつがえて、雨を大地にたたきつけておられる、神の裁きの矢が雨あられとして降り注ぐ、そのような出来事でした。そしてやがて雨がやみ、虹が現れる。それは、主なる神が戦いを終えて、弓を大地に置いてくださる。その、大地に弓が置かれたイメージ、戦いを終えて大地に弓が置かれたイメージがレインボウと呼ばれます。主なる神は、戦いを終え、裁きを終えて、弓を置き、その置かれた弓を契約のしるしとしてくださったのです。

この契約は、契約としてはとても奇妙なものです。一つには、ノアとその家族だけでなく、まだ生まれていないノアの子孫、さらにすべての生き物まで契約の対象に含まれます。「わたしと大地の間に立てた」とさえおっしゃいます。果たして大地と契約を結ぶことができるのでしょうか。けれども、その奇妙なことをあえてして、主なる神は、ノアとその家族だけでなく、後の世代の人間を、また大地をも、契約へと招き入れてくださいます。

もう一つ、この契約は、人間に対して「心に留めよ」と命じるのではありません。神ご自身が心に留めるとおっしゃいます。心に留めて、「水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない」と思い起こすのです。その意味で、虹は主なる神ご自身のためのしるしです。ですから、この契約は、神がご自身で誓いを立てておられると言うべきものです。主なる神がお一人で心に留めて、二度と洪水によって滅ぼすことはないと誓約してくださっているのです。

それでは、私たち人間の罪はどうなるのか。神に背いて地上に悪が満ちてしまった、その罪と悪はどうなるのか。ノアとその家族も罪人なのではないか。ノアののちの世代も、主なる神の御前に罪をあらわにしているのではないか。それはその通りです。私たち肉なるものが罪人であることはノアの洪水ののちも変わっていません。けれども、主なる神は、洪水のような災害によって私たちを滅ぼすのではない。そうではなく、時満ちてご自身の独り子を私たちに遣わしてくださいました。洪水によってではなく、御子イエス・キリストの十字架において私たちの罪を処罰し、私たちとこの大地を罪とけがれから救い出すことを成し遂げてくださった。主なる神は、洪水とはまったく違う、愛と憐れみに満ちた仕方で、虹の誓いを果たしてくださいました。

新約のマタイによる福音書は、主イエスが洗礼を受けて水の中から上がられたとき、「天がイエスに向かって開いた」と書き留めています。これは、天から大地へと虹が架かるような光景だったのではないでしょうか。虹をしるしとして与えた主なる神は、天と大地を結ぶ架け橋として主イエス・キリストを与えてくださいました。神の御子がへりくだり、神と人、神と大地の架け橋となってくださいました。このお方によって、私たちの罪とけがれはすべて拭い去られて、もはや滅ぼされることがありません。こうして、私たちの生きるこの大地は、神の契約の虹が架かるところとされています。

空に虹を見るとき、主イエス・キリストにおいて示された神の愛を思い起こしましょう。空の虹は消えて見えなくなりますが、主なる神の私たちへの愛はとこしえに変わることがありません。

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