悪より救い出して下さい

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聖書の言葉

神に従う人の道は輝き出る光 進むほどに光は増し、真昼の輝きとなる。 神に逆らう者の道は闇に閉ざされ 何につまずいても、知ることはない。

旧約聖書 箴言 4章14~19節

山下朋彦によるメッセージ

今お読みしたみ言葉は、旧約聖書の箴言に出てくるみ言葉の一節です。箴言というのは、分かり易く言うと、格言や知恵の言葉を集めたものです。知恵の教師が弟子達に教え諭すようにして伝えられてきたものとのことです。小説のように筋書きや起承転結のようなものは持ちません。短い節から成るものが殆どですが、今日の箇所のように主題(テーマ)が明らかになっている場合もあります。

ここでは知恵の言葉を守る者は、つまずくことなく命を得る事ができると語っています。反対にそうでない無視する者は、つまずき滅びるとの警告も含められます。この場合の知恵の言葉というのは、人間的な知恵、即ち人間が考えついたり・経験したものではなく、神様によって教え諭されたもの。今日の私たちからすれば、神の言葉と言えるものです。つまり神の言葉を守る者、その内を歩む者は命を得ますという重要なメッセージが込められているということです。しかもそれは、「悪しき者の歩み・あり方」と較べて語られている点に特色があります。その「悪しき者の歩み」とは一体どういうものなのか、というと、こういうことなのですね。「彼らは悪事をはたらかずには床に就かず他人をつまずかせなければ熟睡できない。背信のパンを食べ、不法の酒を飲む。」と。つまり他人を陥れたり、欺いたり、つまずかせたりしなければ安心できない。意地悪いというよりも、もう破壊的な性質・歩みをしている人のことです。

新約聖書の中に、ガダラの狂人と呼ばれる奇跡物語がありますが、その中に出てくる悪霊つきの男が、その典型です。この出来事は、主イエス・キリストがガダラ地方(イスラエルからは外国の地)へ行かれた折り、主のところに現れた悪霊付きの男を救われたお話しです。主は彼に会い、悪霊に命じてこの男から出て豚の群れに乗り移らせますが、その悪霊の乗り移った豚の群れは湖へとなだれ込みおぼれ死んでしまいます。このお話しを聞いたある高校生の女子生徒が「豚がかわいそう」ともらしたとのことです。素直な感想なのですが、ここではこの憐れな男を救うために豚何百頭の命と引き替えにしてでも、イエス・キリストは彼の魂を深く憐れんで悪霊を彼から追い出して下さった、この一人の男への主の愛と慈しみとが述べられています。こういうお話しを聞くと、何か古くさい文明の未熟な時代の作り話や昔話のように受けとられるかもしれません。けれどもこのお話しは、悪霊の働きは確かに実在する、実存する恐ろしい力であり、働きなのだということです。どのようにして悪霊の力が働いていたのかというと、彼の心を二つに分断し、引き裂き、滅ぼそうとする人間の力を超えるところのものであったということです。彼は心の底では、救われたい・主に近づきたいと思いつつも、主が近づかれると私から離れて下さい、構わないで下さいと叫んだと書かれてあるのですね。私たちもこのようなことを経験しないでしょうか。心が二つに分断されてしまうことです。例えば誰か道で倒れている人がいるとします。その人を見て天使山下が「おいあそこに倒れている人がいる。お前が行って助けてやれ」と。するとすかさず悪魔山下が現れて「別にお前が助けなくてもいいじゃないか。前の人も無視していったぞ。」とささやきかける。少し冗談めいて申し上げましましたが、そこに悪しき力が働いている、悪魔の力が如実に働いているのを見ることが出来ます。こうした二つに心が分断される現象を、直ちに「分裂症」のようにして特別な病気と同一視してしまうことは慎重にされる必要があります。申し上げたいことは、誰もがこの悪しき力の支配の下にいるのだ、このことを謙虚に認めることが大切なのではないか。それが根本的な解決につながっていくのではないかと思うのです。確かにこの力は、人間の力を超える、自分一人ではどうにもならないことであって、だからこそ一人で戦わないで、又自分だけで全てを背負い込まないで、悪魔に打ち勝たれた主イエス・キリストに助けを求めつつ、徐々にいやされることを願い求めていくことが必要なのです。

このガダラの狂人は、そのままでは結局は自分を滅ぼすと共に、相手をも傷つけ・滅ぼすことになる、自滅の道・破壊の道を突き進んでいくことになってしまうと思うのです。彼だけではありません。この悲惨な罪の闇に覆われているこの世やこの時代も、この悪しき力の支配の下に置かれていると言えるのではないでしょうか。イエス・キリストが弟子達に教えられた「主の祈り」の中で、こう祈るように教えて下さっています。それは、「我らを試みに合わせず、悪より救い出し給え」と。

さてこの箴言の結論は、こういうみ言葉です。「神に従う人の道は輝き出る光進むほどに光は増し、真昼の輝きとなる。神に逆らう者の道は闇に閉ざされ、何につまずいても知ることはない。」。闇の中を歩くと、つまずくだけでなく、何につまずいたかも全くわかりません。それとは対照的に神に従う人は闇の中ではなく、光の内を歩むとあります。それは決して、いつも日の当たるのどかな道を何の苦労もなく歩めるというのではなく、いや光の中を歩んでもつまずくことが起こってくる。信仰者と言えども、様々な試練や苦しみは避けられないかもしれません。けれども幸いなことに、光の中を歩むと何につまずいたかがわかるのです。そうしますとそこに悔い改めが起こり、新たなる歩みが生まれてくる、そうした一歩一歩が結局は天国への道を天国目指して歩ましめさせるのです。私たちは何よりも神のみ言葉に導かれ、主イエス・キリストによって悪しき力・悪魔と戦いながら、一歩一歩天国に向かっての歩みを進んでいくことが赦されるように願っていきたいです。

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