神が満たしてくださる

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聖書の言葉

涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に、命の神に、わたしの魂は渇く。

旧約聖書 詩編 42編2,3節

金原堅二によるメッセージ

私がこの番組でお話しするのは初めてですので、少し私自身のことをお話ししたいと思います。

私は静岡県の生まれですが、引っ越しの多い家庭で、これまで香川県、兵庫県、京都府、愛知県とさまざまな場所で生活してきました。とはいえ、いちばん長いのは兵庫県で、「どこの出身ですか」と聞かれたら、「兵庫県です」と答えることにしています。現在は滋賀県で牧師をしていますが、自分の育ってきた関西にあるラジオ番組で、皆さまにお話する機会をいただけたことに感謝しています。

私は両親がクリスチャンの家庭に生まれました。ですから、私が初めて教会に行った時の記憶と言えば、それは赤ちゃんの頃ですから当然何も覚えていませんで、気がついたら、私は毎週日曜日に教会へ通う生活をしていました。高校生までは両親の住む実家で暮らしていましたから、その頃は、両親に連れられて、あまり深く考えることなく教会に通っていました。けれども、そんな私が自覚的に「教会に行こう!」と心に決めて通うことになったのは、大学に入り、一人暮らしを始めてからです。

当時私の実家は神戸市北区の鈴蘭台というところにありましたが、大学は京都府にある大学に進み、京都内で一人暮らしを始めました。近くの教会にも足を運ぶことはありましたが、「早起きすれば京都から鈴蘭台に戻ることもできるなぁ」と思い、日曜日の朝には電車に揺られて、鈴蘭台の教会に行くという生活が始まりました。

この当時から、私が好きな聖書の言葉に次のようなものがあります。

涸れた谷に鹿が水を求めるように神よ、わたしの魂はあなたを求める。

神に、命の神に、わたしの魂は渇く。

旧約聖書の詩編42編冒頭の言葉です。「涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に、命の神に、わたしの魂は渇く」。これを読むと、この詩編を書いた詩人は、神様とのつながりを慕い求めていたことがわかります。この詩編をもう少し読むと、詩人が過去の礼拝を思い起こして「あれは喜びであり、祭りであった」と言っているところがあります。この詩人にとって、礼拝とは喜びの祭りでした。旧約聖書の時代、礼拝とはエルサレム神殿でささげるものでしたから、詩人はこれを歌っている今、何らかの事情でエルサレムから遠く離れた場所にいて、礼拝したくてもできない状況にあったのでしょう。それで「神様、私はあなたを慕い求めています」と心の叫びをあげているのです。

私がこの言葉に心惹かれる点は、たとえ苦しい中にあっても、「私は神様に見放されたのではないか」と思うような状況にあったとしても、この詩編の詩人がひたむきに助けを求めて祈っている点です。「私はいま、こんなに辛い中にあります」と歌っていながらも、「私はもうダメだ」と言ってそれでおしまいではないのです。それ以上に神様に強い信頼をよせて、その救いを今か今かと待ち望んでいるのです。

私はここに、キリスト教の神様との関係がどのようなものであるかを見ることができると思います。信じたから「人生すべてうまくいく」とか、信じたから「お金持ちになれる」とか、そういうご利益をもたらす神様ではありません。でも、苦しいときにはその声を聞いてくださる神様であり、求める声を聞いてくださる神様です。私たちの叫びを聞いて、一緒にいて寄り添ってくださる神様です。私たちが神様に信頼して、必要を願い求めるのであれば、神様は満たしてくださるのです。

私は、私の大学生時代を振り返って、日曜日に必ず礼拝に足を運ぼうと一生懸命になっていたのは結局どうしてなのだろうと考えました。それは、ひとことで言うならば、「魂が渇いていた」のだと思います。それで「神に、命の神に、わたしの魂は渇く」という詩人の言葉と自分自身を重ねていたのでしょう。

喉が渇いたら、水を飲むと思います。そうしなければ、渇いて苦しいだけでなく、そのままでは命を維持できないからです。私たちは、水を飲むことで喉に潤いを得ます。

同じように、私たちは魂が渇くことがあるのです。これを聞いている皆様がもし、人生に何らかの虚しさを心に抱いているのであれば、神様の声に耳を傾けてみてください。この渇きは、神様によってしか満たされません。反対に言えば、神様こそは「命を与える」神様です。私は礼拝に生き続けることで、神様が私を満たしてくださったと感じましたし、それを喜びとして今日まで生きてきました。

教会では神様からの語りかけを、聖書を通してご一緒に耳を傾けます。初めての方も、昔行ったことがあるという方も、ぜひ教会に足を運んでみてください。神様は満たしてくださるお方であり、その神様を礼拝する場は喜びの祭りです。神様がくださる喜びに満ちた人生をご一緒に歩みたいと願っています。

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