平和の王

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聖書の言葉

ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。二人は、「主がお入り用なのです」と言った。そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。

新約聖書 ルカによる福音書 19章33~35節

吉田隆によるメッセージ

今日の日曜日から始まる、この一週間を教会では受難週と呼んでいます。イエスの地上における最後の一週間のことです。イエスが捕らえられ、鞭打たれ、金曜日には十字架につけられて死を迎える。まさにイエスの受難の一週間を記念することになっています。けれども、それとは裏腹にと申しましょうか、そんなことになろうとは全く予想させないほどに、遠く北のガリラヤ地方からやってきたイエスは、その週の最初の日、多くの熱狂的な群集に、この方こそがユダヤ人の王だと歓喜をもって迎えられて、ユダヤの都エルサレムに入城されたと聖書には書いてあります。そして、その時、イエスは自らお命じになって、誰も乗ったことのないロバの子を連れてこさせまして、それに乗って入城されたというお話が、初めにお読みしました聖書の言葉なのです。

さて、キリスト教系の幼稚園やいろいろな子供の施設で、よくこの「子ろば」とか「ロバの子」という名前がついている所がありますよね。「ロバの子幼稚園」とかですね。かわいい名前ですが、なぜ「ロバの子」なのだろうと思ったことはありませんか?犬の子や、猫の子や、ひよこなど、可愛らしい動物は、いくらでもいますよね。それなのに、なんでよりにもよって「ロバ」の子なのだろうと。その理由が、実は、この聖書の物語なのですね。この世界の本当の王様であるイエス・キリストを背中に乗せた唯一の動物、それがこのロバの子だったからなのです。小さくて弱い、しかもまだ誰も乗せたことの無いような未熟なロバの子でしたけれども、イエスがそのようなものをあえて選んで用いてくださった。「主がお入用なのです」と言われて、イエス様をお乗せするという光栄にあずかった。この何とも言えない、アンバランスと言いましょうか、不思議な取り合わせが、このお話の実に面白い、興味深いところです。

少しだけ解説しますと、実は、旧約聖書の中に、やがて来られる救い主、真の王になられるお方は、ロバに乗るという預言があったのですね。これも面白いですよね。普通、王様というのは、馬に乗ります。立派な軍馬に乗る。日本でもそうですが、兜をかぶって、鎧をつけて、刀を持って、名馬に乗ってさっそうと現れるものです。ところが、聖書が預言した真の王は、ロバに乗るというのです。ロバというのは、庶民が畑仕事や、荷物を運ばせるのに使った動物です。およそ不格好な、およそ戦いには向かない動物です。そう、聖書が言いたかったことは、そういうことなのですね。私たちの救い主となられる方は、武器をもって戦う王なのではない。戦って、敵を撃ち殺して、力でもって相手をねじ伏せて、そうして勝利をもたらす王なのではない。神がお遣わしくださる真の王とは、平和の王だということなのです。庶民と同じ目線で、人々の日常生活に平和を、平安を与えてくださる方だと、それが、このロバに乗るということに現されていたことでした。しかも、旧約聖書では、神様の御用に用いる動物は、まだ誰も使ったことの無い動物でなければなりませんでした。それで、イエスはロバの子に乗られた、というわけです。

「剣を取る者は皆、剣で滅びる」とイエスは言われました。これが、人類の歴史の教訓です。剣で、武力で世界を支配しようとした者は、必ず剣で滅びる。私たちは、そんな歴史の教訓を忘れてはいけません。主イエスは、そのような人間の剣に対して、丸腰で立ち向かいました。いえ、むしろ、敵をも愛するという愛によって打ち勝ちました。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのかわからないのです」と、十字架上でイエスは祈られました。そして、そのように真に人間を生かす、殺すのではなく生かす、神の愛こそが世界を変えて行くのですね。

今週、私たちは、軍事力だとかお金の力だとか、その他人間のあらゆる力によって世界を変えようとする、人間の思い上がりを思い巡らしましょう。そのような人間の思い上がりや憎しみが、神の御子をさえ十字架につけたという事実を深く心に留めましょう。けれども、そのような人間の愚かさを、どこまでも赦し、敵をも愛された神の愛こそが、この世界を変えて行ったのだという事をもう一度、信じましょう。なぜなら、イエスのお働きは十字架で終わらなかったからです。十字架から三日目に、イエスはよみがえられたからです。人類の罪に神の愛が勝利した瞬間です。この世界を覆う死の力に、神の命の力が勝利を収めたのです。それが、私たちの真の王、主イエス・キリストの復活の出来事です。それを私たちは、次の日曜日にお祝いするのです。

私たちは、皆、それぞれが小さく弱い、無力なロバの子のような者かもしれません。けれども、そのような者を主イエスはあえて選んでくださる方なのですね。そうして、私たち一人一人がこの御方を真の王と信じる時、この御方をお乗せすることができるのです。私たちの小さな歩みを通して、この世界に神の愛を運ぶことができるのです。そうして、この憎しみと争いに満ちた世界に、神の平和が届けられていきますように、お祈りしたいと思います。

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