苦難から希望へ

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聖書の言葉

わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 5章3~5節

吉田隆によるメッセージ

4月になりました。“春爛漫”ですね。今年は例年よりも寒さの厳しい冬でしたので、春の訪れの喜びもひとしおですね。人間だけではありません。庭の植物たちも、待ってましたとばかりに、一斉に、やわらかく新しい芽を吹いて、ぐんぐん成長し始めました。まるで申し合わせていたかのように、一斉に綺麗な花も咲き始めました。何とも美しい季節です。

さて、そんな植物たちの気持ちはわからないのですが、この春、この放送をお聞きの方やそのご家族の中には、それぞれに新しいスタートを切る方々もおられることでしょうね。入園、入学、進学、就職などなど、全く新しい世界で新しい歩みを始める方々もおられることでしょう。あるいは、引越しをしたり、新しい環境で生活を始める方もいらっしゃるかもしれません。期待と不安、どちらが大きいのでしょう。期待でしょうか。それとも、不安の方が大きいでしょうか。

若い頃は、何であれ新しいことにチャレンジしていくことに対するワクワク感の方が、少なくとも私などは、大きかったように思うのですが、最近は、自分のこともさることながら、新しい世界に進んでいく方々が無事であるように、うまくやって行けるようにと、何となく心配したり祈る気持ちの方が強くなっている気がいたします。年をとったということなのかもしれませんね。

暖かな日々と未だ寒さが残るこの季節は、まるでそんな私たちの揺れ動く心を映し出しているような、何とも不思議な感覚を与える季節ではないかと思うのです。そう思うと、毎年毎年、不平も言わず、落ち込むこともなく、キチンキチンと新しく芽を出して、美しい花を咲かせて、この季節を美しく飾ってくれる植物たちは偉いなあと、変に感心してしまうのは私だけでしょうか。

さて、そんな4月の最初に相応しいかなあと思って選んだ聖書の言葉が、今日の言葉です。もう一度、お読みします。「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません」。私たち人間の人生には、苦難がつきものです。誰も好き好んで苦しみたいなどという人はいませんが、残念ながら、人生の試練や苦難を避けることはできません。有名な徳川家康の言葉を思い起こす方もいらっしゃるでしょう。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」。人の一生というものは、重い荷物を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。不自由が当たり前と思えば、不満も出てこない。心に欲が出てきた時には、苦しかった時のことを思い出すことだ、と言いました。さすがに、天下を治めた人らしい、なかなかの名言ですね。

先ほどの聖書の言葉は、パウロという人が、ローマにいるキリスト者たちに書き送った手紙の中に出てくる言葉なのですが、そこでは、苦難は忍耐を生み、忍耐は練達を生み、練達は希望を生む、という面白い言葉の繋がりがあります。人生の苦しみをじっと我慢して耐え忍ぶことで、忍耐という力がついてくる。そうして忍耐を重ねると、今度は練達が生まれる。「練達」という言葉はあまり使われませんが、辞書を引くと「その道に精通しており、経験豊富なこと」とありました。人生という道に精通するようになる、ということでしょうか。他の聖書の翻訳では「練られた品性」とありました。いずれにしても、人間として成熟してくる、ということなのでしょうね。ここまでは、何となく家康の言葉にも通ずるものがあります。けれども、パウロはさらに言います。「練達は希望を生む」と。家康の場合は、あれやこれやを欲するという望みが出てきた時は、むしろ苦しかった時のことを思い出して我慢しろと言ったのですが、パウロは練達すればこそ、希望は育まれるのだと言うのです。そして、その希望は私たちを欺くことがないと。これはいったいどういうことなのでしょうか。

実は、パウロがここで言う苦難というのは、単なる私たちの人生の苦難というよりも、神を信じて歩む者たちの苦難のことを言っているのですね。確かに、この世では、自分の人生の重荷を背負って、ひたすら耐え忍ぶしかないかもしれない。けれども、もし私のような者さえも救って愛してくださるイエス・キリストというお方を信頼して歩むならば、そのような人生はたとい苦難があったとしても、必ず喜びに変わる。その苦難は私を練り清め、やがては希望に変わるのだと、パウロは言うのです。なぜなら、私の重荷をイエス・キリストが一緒に背負ってくださるからです。私を愛してやまない神の愛を心に抱いて歩むなら、苦難さえもやがては喜びに変わると。

長く寒い冬を経た野菜は、とても甘みを増すと言われます。それは、野菜が寒さの中で自分の中にある養分を守ろうとするからだそうです。ただ辛い冬のような人生を耐えるだけなら、いつか心が折れてしまうことがあるかもしれません。しかし、たとい苦難の中でも、私の中に神の愛が宿っているなら、その愛を抱きしめて生きて行くなら、きっと耐えて行けるでしょう。そのような旨みのある、喜ばしい人生をこの春、皆様が歩み出してくださいますように、心よりお祈りいたします。

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