多くの愛が冷える

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聖書の言葉

二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです。」

新約聖書 ヨハネによる福音書 21章16節前半

城下忠司によるメッセージ

ことわざに「三つ子の魂百まで」と、幼児の性質は年取っても変わらないことの喩えがありますように、小さい時からしつけや教育に関心をもって、育てるのは大事なことです。でも、今の教育は何かが間違っているように思えます。マスコミで取り上げられる子どもたちの最近の事件は、その不思議な動機や、またその性質など、今までになかった特異なものです。事件のようなものでなくても、卑近な小さな出来事であっても、子どもたちの行動や考える力というものが、なにかによって壊されているのではないかと、とても気になります。

報道される受験戦争の姿や、子どもたちを幼稚園から有名学校へ入学させるための母親の必死な姿、外国車で子どもを送り迎えする母親の姿を見聞きするたびに、なにか冷え冷えとしたものを感じるのは、私だけではないと思います。その他にも、特に学級破壊、学校破壊、などの報道には、愕然とさせられてきました。

振り返ってみますと、私たちはこの戦後の何十年の間に、すばらしく豊かになりました。食料一つ取ってみてもそうですが、科学技術の進歩は目覚しく、生活の水準は格段の進歩をとげました。物が溢れ、何でも手に入れることができる世の中になりました。

しかし、一方では失ったものも実はたくさんあるということも、実感しています。資源をどんどん使い、そのために公害という厄介な廃棄物の処理が大変です。私たちの住む地球の環境も、どんどん破壊されています。また、災害や事故も増加しているという実感が強くあります。こういった、目に見える問題点のほかに、実は目に見えない影の部分を見つめて、警告している方がいます。「IT革命、あるいは情報化社会の影の部分は、目に見えにくいという性質を持っている」と指摘し、テレビ・パソコンは言うに及ばず、今やゲームによる幼児期の子どもに与える悪影響、携帯電話の乱用によって引き起こされる人間関係の悪化など、人間としての大事な感情のコントロールや自制心、判断力さらには想像力までも、その発達を阻害する恐れがあることを指摘しています。そして、今、多くの方が、子どもたちに対して将来に不安を持っています。かつて、盛んに道徳教育という言葉がもてはやされた時期がありました。確かに、私たちの社会の中で、道徳が低下しているという認識は、ずいぶん前から言われてきたことです。今も変わらず、もっとひどくなっているように思われます。このような状況の中で、子どもたちに失われつつあるのは、心と魂の豊かさなどで、また、これらを養い育てることに欠けていることではないでしょうか。大事なことは目に見えない心や魂の成長です。子どもたちが、友達を思いやることができ、心のふれあいができるためには、子どもばかりでなく、大人においても、一人一人の成長が必要とされているのだと思います。

ある調査では、日本人の宗教に対する関心は60パーセントを超えていると報告されています。しかし、世間の常識は特定の宗教を信じるものを排除します。信仰心が眠ったままになっているのは悲しいことです。

マタイというイエスさまの弟子の書きました福音書には、今の時代は困難な時代で、人を惑わす者が現われる、また不法がはびこる、そして、多くの人の愛が冷える、と記されています。そんな中でこそ、イエスさまの愛は聖書を通して、教会を通して、私たちにいつも変わらず差し出されていることを知っていただきたいと思います。

最初に読みました聖書の箇所は、イエスさまの復活という出来事がありましてから、ひと月余りが過ぎてからの、イエスさまとその弟子の一人のペトロとの会話の一部です。「あなたは私を愛するか」とのイエスさまの問いかけがなされます。15節から19節までには、同じ質問が三度もペトロに投げかけられています。このように、ペトロをとても愛していたイエスさまに対して、ペトロの答えは「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と、三度同じ答えを返しています。この答えの中にはペトロの並々ならない、イエスさまへの、愛の喜びと感動が込められています。ペトロはイエスさまの愛をしっかりと受けとめ、畏れを抱いて神さまを拝し、イエスさまの愛に答える者となっているのです。

このイエスさまの愛は私たち一人一人にも向けられています。イエスさまは神さまの元からこの世界においでになって、私たちを探して救うために来られたお方です。どうか、この神さまの愛をいただいて、救いにあずかってくださいますよう、お勧めいたします。

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