平和の道具としてください

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聖書の言葉

これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。

新約聖書 ルカによる福音書 1章78,79節

國安光によるメッセージ

クリスマスと言えばプレゼント、あちこちで大切な誰かに素敵なギフトを、という宣伝を目にします。必ずしも物だけではないかもしれません、言葉にせよ、思いにせよ、誰かに何かを届けたい、クリスマスにはそういう思いを持たれるのではないでしょうか?

さて最近、よく目にするのが、「利他」という言葉です。他を利する、と書きます。書店に行きますと、「利他」について書かれたものがいくつかあります。私も気になって、『「利他」とは何か』という、伊藤亜紗さんが書かれた本を読みました。その本の「はじめに」を読むと、「利他」とは誰かと競い合うのではなくて、他者のために生きる生き方で、これがパンデミックの中で注目されてきた、とありました。

利他の対義語は、利己、要は自分の利益を最優先にすることです。パンデミックによって、自分の利益が最優先され、お互いが競争し合しあうことを問い直す動きが生まれ、ファッション業界にせよ、ビジネスにせよ、研究機関にせよ、利他という考え方が広がっている、そう書かれていました。

気になって「利他」について調べてみたら、どうやらもともとは仏教用語だそうです。「利」は、ご利益の「利」で、よいことをあらわします。お金や物だけではなくて、心や精神、霊的なことについても、よいことをあらわすのが「利」だそうです。「他」は、言葉だけを見ると、自分ではない他のだれかを連想してしまいますけれども、一説によれば「他力本願」という言葉からわかるように、人間の力を越えたところの存在である「他」を意味するそうです。利他という言葉の起源を見るなら、人ではなくてまず人を超越した存在に心を向け、信頼するという意味があるわけです。

これは大変興味深いことだと思いました。というのも他の誰かのために何かをすることと、人間を超越した存在、つまり生ける神に信頼することは、深いところで結び合うことだからです。ことわざで、「情けは人の為ならず」という言葉があります。人に親切にしておけば、よい報いがめぐりめぐって自分にかえってくる、という意味です。これは確かに他の人のためなんですけれども、利己的です。本当の利他ではないのだと思います。では本当の利他とは何なのでしょうか?

人間を超越する存在、つまり神にまず心を向けるなら、利己的な思いから解放されていく、そして利他へと向かうことができるのだと思います。キリスト教は真の利他の道を教えています。クリスマスが近づいています。クリスマスは、神が神の子イエスをこの私たちの世界に送ってくださった、神は罪ある人間の救いのために、貴い独り子をプレゼントしてくださった日です。

今日読んだ聖書の言葉にはこうあります。「これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高いところからあけぼのの光(すなわちイエス・キリスト)が我らを訪れる」

「憐れみ」これは、はらわたがねじれるほどの、痛みや弱さを抱える人に同情する思いをあらわします。そこには見返りを求めたり、何か条件をつけたり、打算的な思いはありません。クリスマスは、人間の思いを越えた神の憐れみ・驚くべき神の愛がこの世界に突入してきた日です。人間を超越した神が、私たちを愛し、貴い独り子の命を与えてくださった、ここに究極の利他があるのだと思います。

マザーテレサという、インドのカルカッタで愛の働きをしたシスターがいます。マザーテレサは、宗教を問わず、孤独の中で生きる力を失っている人々に手を差し伸べました。その手によって、神の愛に触れた多くの人々が魂を癒されていきました。マザーテレサがどうしてそういうことができたのか、それは神の憐れみに生かされていたからです。マザーテレサがいつも愛の働きをする上で、大切に祈っていた、アッシジの聖フランシスコの祈りがあります。

「主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を、誤りがあるところに真理を、疑いのあるところに信仰を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜びをもたらすことができますように。慰められるよりも、慰めることを、理解されることよりも理解することを、愛されるよりも愛することを、わたしが求めますように。自分を忘れることによって自分を見出し、ゆるすことによってゆるされ、死ぬことによって永遠の命をいただくのですから。」

この祈りの最初の言葉が私は好きです。「わたしを平和の道具としてください。」神がなさる平和の道具としてください。ここに神が私たちに与えてくださる利他のこころがあらわされているのではないかと思います。自分を神の憐れみを届ける道具としていただく。このことをわたしも祈ることがあります。祈りますと、利己的な思いから自由になれる気がします。神に自分自身を明け渡していくときに、本当に誰かを愛するという道を与えられていくのだと思います。

最初に、クリスマスは誰かに何かを届けたいと思う心が与えられるときだ、とお話をしました。その心も貴いです。そしてその心を与えてくださったのは、神です。そしてその心がいっそう誰かのためになるように、どうぞこの言葉を祈ってみてください。「神よ、平和の道具としてください。」この祈りを神が聞き上げてくださって、きっとあなたの手を、平和の道具として神が用いてくださるでしょう。あなたが届ける贈り物を通して、他のだれかに平和が・神の憐れみが届きますように。それが希望となり、生きる喜びとなりますように。

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