働かないアリの秘密

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聖書の言葉

目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。

新約聖書 コリントの信徒への手紙一 12章21,22節

弓矢健児によるメッセージ

人間の体にはいろいろな部分があります。目があり、耳があり、手があり、足があります。心臓があり、脳があります。決して目だけではないし、足だけではありません。心臓だけではないし、脳だけではありません。人間の体にとって、一つ一つの部分に違いがあること、多様であることはとても大切なことです。

聖書は、わたしたちの社会も同じであると教えています。人間は決して一人一人がバラバラに存在しているのではありません。社会とは一つの体のようなものです。そして、社会にはいろいろな人がいます。子供もいれば、高齢の方もいます。障がい者もいれば、健常者もいます。病気の人もいれば、そうでない人もいます。様々な個性の違い、様々な民族の違いがあります。みんな違います。しかし、一つ一つの部分に違いがあってこそ健全な体であるように、一人一人に違いあってこそ健全な社会なのです。

神はわたしたち一人一人の人間を、そのような違いのある存在として、多様性のある存在として創造なさいました。そうであるからこそ、聖書は一つ一つの部分が大切にされなければならないと教えています。体の中の目立つ部分や強い部分だけが大切され、目立たない部分、弱い部分が蔑ろにされるならば、体は健康を保つことができません。例えば、人間の体の中で、脳が一番偉いと言って、脳だけに栄養が行って、手や足や他の部分に栄養が行かなかったら、どうなるでしょうか。もし、そんなことになったら、体全体が弱って、病気になって死んでしまいます。ですから、すべての部分が大切です。いや、「それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」。人間の社会もそうです。

以前、新聞にアリの社会のことが書かれていました。アリの仲間は世界中に約一京匹ぐらいいるそうです。「一京」というのは一兆の一万倍です。今世界の人口は約75億人ですから、いかにアリの数が多いのかが分かります。アリは地上でもっとも数の多い生き物だそうです。しかし、なぜ、アリはそこまで多く増え広がったのか。それはアリの社会が、弱肉強食の社会ではなく、完全に共同して生きる社会であるからだと言うのです。そして最近の研究で分かって来たことですが、アリの社会には、一定数、働かないアリもいるそうです。

イソップ童話の「アリとキリギリスの話」の影響でしょうか。わたしたちはともすると、アリは休まず働いてばかりいるように思っていることがあります。しかし、そうではありません。働かないアリもいるのです。ただ、働かないアリも決してズルをして、怠けているのではありません。実は交代要員として待機しているのです。そして、ある時間が過ぎたら、休んでいるアリたちは、働いているアリたちの一部と入れ替わります。そうすることによって、公平に休息をとることができ、アリの過労死が防がれるといいます。それが、長期的に見て集団全体の持続性を高めているというのです。非常に賢いです。凄いと思いました。

ある専門家は、これからの人類が見習うべきは、アリの社会だと言っていましたが、わたしはこの記事を読んで、なるほどと思いました。もちろん、アリと人間は違います。けれども、強い者が弱い者を滅ぼさない共同社会であるという点、休むことも含めて互いに助け合う共同体であるという点は、人間も見習わなければならない優れた点だと思いました。そして、聖書も、それが人間本来のあり方、働き方であると教えています。

今の時代、確かに共に分かち合って生きることは難しい時代です。能力主義、自己責任、効率や利益が強調される時代です。競争社会の中で誰もが自分のことだけで精一杯であるという現実があります。その結果、格差や貧困の問題、過労死やストレスによるに心の病の深刻化などが起っています。競争社会の必然的な帰結です。

しかし、そうであるからこそ、わたしたちは今一度立ち止まって、一人一人がかけがえのない、多様な個性を持った存在であることを覚えたいと思います。そして、その多様な一人一人が、一つの体として互いに支え合い、共に生きることの中に真の幸いがあることを覚えたいと思います。

そのことを、わたしたちに教えるために、そして、わたしたちが神の愛によって一つの体となり、共に生きるようになるために、御子イエス・キリストはこの世に来てくださいました。そして、キリストは、わたしたちを救うために、私の罪の身代わりとなって十字架で死んでくださいました。聖書はここに愛があると教えています。今もキリストはわたしたちを愛し、愛を注いでくださっています。

力が強くても弱くても、お金儲けが上手でも下手でも、障がいがあっても無くても、男であっても女であっても、どこの国の人間であっても、神が創造してくださったかけがえのない命であり、存在であることに変わりがありません。

イエス・キリストは、わたしたちがそれぞれの違いを認め合い、愛によって共に分かち合い、支え合って生きることを喜んでくださいます。わたしたちは、自分一人だけでは決して幸せにはなれません。体全体が救われ、満たされてこそ、わたしの救いが、わたしの幸せがあるのです。

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